自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

蕭蕭五十年。

50年以上前に、私は人材グループの担当幹部から、

吉川英治の「三国志」と、

辻邦生の「背教者ユリアヌス」と、

山本周五郎の「蕭蕭十三年」を読めと言われた。

 

貧しかった小学生の私には、それらを手に入れるのは容易ではなかった。

小学校の担任の先生に言うと、ハードカバーの吉川英治全集の三国志を買ってくれた。

三国志のストーリーは、横山光輝の漫画で頭に入っていたので、読むのに苦労はなかった。読んだ後の徒労感は半端無かった。劉備玄徳の息子が余りにも愚かで、劉備玄徳にも怒りを覚えたのを記憶している。

「偉大な父親を持つ子供がどうして愚かなのか?」

これはその後の人生の多くの場面で「二世」「七光り」と呼ばれる人間を見てきて腑に落ちた。恵まれた環境があっても志とか、ハングリー精神というのは教える事ができないのだ。

所謂「艱難汝を玉にす」の艱難辛苦を経験することができないのだ。

 

その後「背教者ユリアヌス」も読んだ。

読みはしたが、記憶には残っていない。私には響かなかった。

 

『蕭蕭十三年』は文庫本収載(短編集おごそかな渇き)だったので、自分で文庫本を買って読んだ。

 

(本の内容は、うろ覚えなのでできれば買って読んでいただきたいが、)

主人公・天野半九郎の忠義心が、かつての主人・水野監物に届くまで13年かかったことと、忠義奉公の虚しさだ。

水野監物の側近の天野半九郎は、寝ても覚めても【主の御為】の人である。そのために、主君水野監物から、

「【我こそはの忠義心】が過ぎるので家中の和を乱す」

と、藩を追放される。

半九郎は自分を追放した主人を恨まず、いつの日にか主人に忠義を尽くす為に浪人生活を13年も耐え、機会を待ち『明暦の大火』で、我が身を黒焦げにして硝煙蔵の延焼爆発を防いで命を落とした。

しかも命懸けで大爆発を防いだ【忠義の黒焦げ遺体】が誰なのか、主人水野監物も、家中の誰も気付かないと言う、全くの【犬死に】だった。そのうち誰もが【忠義の黒焦げ遺体】のことを忘れた。

その後、水野監物が、朝駆けに馬を走らせている時に、朝もやの道端に平伏している亡霊を見て、主人は

「(あの黒焦げ遺体は)半九郎、お前だったのか。」

と気づいた。

 

と言う、残酷な忠義物語である。

『蕭蕭十三年』を読めと言ったのは、要するに私達、当時の人材グループの子供に創価学会の為に【捨て石】になれということだった。

 

昭和46年7月8日の社長会記録に

「学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない、奴隷のように学会に仕えよ。それが御本尊に仕える事だ。」

と書いてあるそうだが、

私も、人材グループの会合でその指導を聞いた覚えがある。

 

当時の聖教新聞や、聖教グラフ等には、にこやかな池田氏を囲む笑顔の子供達の写真記事が載った。時々、私の写真も載った。

当然それを見た私の家族や、近所の一般会員からは、

「池田センセーに可愛がられて良いわねえ!」

等と妬まれたものだが、実際は

「人材グループで見たこと、聞いた指導は親にも話してはならない。」

と釘を刺されていた。親が聞いたらひっくり返るような指導もあった。

「親に言ってはいけない。」

というのは、最近では児童虐待にあたる。

実際、人材グループの会合が回を重ねるにつれ、私は自分の家族との精神的な乖離に悩む事になった。

私は既に10代の頃に精神を病んでいたが、精神科の通院は「創価学会の名前を傷つける事になるから」と親が許さなかった。

10代のうちに何度も自殺未遂をするほど私は追い込まれたが、それでも親は、

創価学会の名前に傷をつけることは許さない!創価学会の事を一切口にしないと誓わないと、精神科の受診は許さない。」

と言った。

私は声を失い、立つ事もできなくなった。芋虫のようにはいつくばって生きながら、そうまでして守らなければいけない創価学会の名誉とは何なのか?

自分の子供を犠牲にしても、創価学会や、会ったこともない池田センセーに忠義立てする母親が不気味だった。

 

今でも時々、フラッシュバックに襲われる。

 

・・・・・

 

「ヤマシュウはいいよ。」

池田氏山本周五郎のファンだったらしい。

池田氏は高名な哲学者の本は、実際は読んでいないと思う。(勤行0分の人が、根気よく哲学書等読めはしないと思う。ネットには〔日本では紹介(翻訳)されていない海外の本を読んで要約を書かされ、それを池田氏がスピーチに使った〕という、代作の国際部の生々しい証言もある。)人前に出て来れなくなる数年前からの、本幹での池田氏の「読書感想文の披露会」みたいな支離滅裂なスピーチは酷すぎた。

 

山本周五郎の小説にででくるのは、

忠義の侍

見返りを期待しない善意の庶民

踏まれても蹴られても文句を言わずに耐え、助けあって生きる貧乏長屋の人たち

どこまでも善意でお人よしな人々だ。

そういうところが、権力者(収奪者)から見ると好都合なのだと思っていた。

 

今は、山本周五郎ペンネームのことを考えるようになった。

山本周五郎」という筆名は、彼(本名清水三十六)が住み込みで勤めていた『山本周五郎商店(質店)』から取った名前だ。お世話になった店主への恩義という説と、単に住所を「山本周五郎方清水三十六」と書いたのを出版社が勘違いしたのか?という説もある。

 

『小説人間革命』の中の池田氏は「山本伸一」という名前を使っているが、池田氏が自分の弟子(本部職員)に代筆させておきながら、「池田大作著・監修」で膨大な文章を発表し、

「池田センセーが書いた御本」として会員に購入させて当然の顔をしていたのは、案外

山本周五郎だって小説を書いた本人の名前ではなく、恩人の名前だった」ことを、自分に都合良く解釈したのかも知れない。

 

蕭蕭たる50年の人生。

私らしさを許されず、もがき苦しんで失った50年という時間は、取り戻すことはできない。

 

創価学会という「池田大作個人商店」に吸い尽くされて、油滓のようになった私の親の人生、親が折伏して不幸にした親族、縁を切られた親族。

 

池田氏という一将功成って、万骨枯れたのが創価学会だ。

人材グループの勉強会では、

『将の五条件』

というのを教わったが、『朝令暮改』の多い池田氏は将の器では無かったと思う。