自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

すずめの涙ほどの

すずめの涙ほどの確定申告の還付金が振り込まれたらしい。

(昨日税務署からハガキが届いた。)

 

現役の頃とは違い、元の源泉徴収が少ないから、戻りもすくないのだが、申告することで次年度の徴収されるものが安くなるかと、もうろくした頭で電卓片手に書類と格闘してきたが、ぐずぐずしているので一ヶ月も胃が痛い思いをして、すごくコスパが悪いことに気がついた。

 

何年分かの還付金を貯めておいたので、自分の好きな物(例えばパソコンとか)をご褒美に買いたいのだが、根っから貧乏性で躊躇っているうちに、想定外の出費で結局自分の物は買えないのだ。

 

夫や子供の為に使うお金には躊躇いは無いのに、自分の為には罪悪感が立ってしまうのだ。

これも専業主婦をやって来て、自分の名前で給料をもらわずに過ごした30年のせいなのか、最低限の生活費以外は学会活動や財務に使うべきだと、子供の頃から洗脳されてきた後遺症なのか、よくわからない。

 

インターネットバンキングは悪い奴にハッキングされたら一文無しになりそうで使えないし、スマホに最初から入っているpaypayのアプリも、口座をくっつけるのが怖いので使う気になれない。

「紙の通帳が一番安心よ。」

と虚勢を張るアナログ婆さんである。

 

これ以上もうろくしないうちに、無駄なカードや、会員証等を処分して子供に迷惑をかけないようにしたい。

 

世間はゴールデンウイークらしいけど、私は縦横無尽?の飛行機雲を見上げながら、ワンマイルの世界で生きていく。

 

 

あっという間に4月は終わる。

介護をするということは、こういうことだと思い出した。

認知症の姑の介護の時は、トイレに入ることもままならなかった。

 

それに比べれば、まだ夫の介護は楽だとは言えるが、命にかかわることがこの半年でも何度もあったし、他科との連携等はこちらから主治医に依頼しなければ話が進まず、気を抜けない。

 

半生を振り返れば、ワンオペ育児の頃も、細切れでしか寝ることができず、いつもヨレヨレだった。

あの当時は、育児プラス学会活動だった。

もちろん赤ちゃん連れ。

よく泣き、よく吐き、着替えとおむつを持って会合に行った。

 

情けないのが生理の時の小単位。

「生理痛がひどいので、会合を休みたい。」

と言っても許されず、引っ張り出された。

病気の為に出血がひどく、夜用ナプキンでも15分で漏れた。

仕方なくトイレを借りてナプキンを交換すると、婦人部会合をやる家にはトイレに汚物入れが無く、替えたナプキンを丸めて服のポケットに入れて会合をやっている仏間に戻ったが、気が気ではなかった。

耳タコの「日顕宗の悪口」と、「選挙の打ちだし」とかを聞きながら、頭痛と腹痛と「漏れ」の恐怖と闘いながら自分がそこに座っていなければいけない意味がわからなかった。

 

今、夫が体調を崩せば、一週間、二週間があっという間に吹っ飛ぶ生活になって、無駄な学会活動に自分の時間を奪われた数十年の年月が、もったいないとしか言えない。

 

今、自分の進退に迷っている人は、自分の人生は自分のもので、誰かに指図されるものではないと、後悔のない生き方をしてほしい。

 

「女は業が深いから」が母親の口癖でした。

母は日蓮正宗創価学会員(後に創価学会員)として、行く先々で「貧乏人」とか「宗教キチ○ガイ」と、相手に馬鹿にされながら

「忍辱の鎧」だ、

「不軽菩薩」だ、

「過去世の業」だ、

「宿命転換」だ、

と自分を鼓舞して、主に私の友達の家を訪問して、

折伏聖教新聞拡販、選挙の票取りに明け暮れて、

1ミリも幸福になれない自分を、

「女は業が深いから。」

「私は過去世の業が深いから。」

と嘲笑っていました。

 

私が結婚して、婦人部になって、いろいろ苦労した時は、幹部に指導を受けると、(私に「何時間、唱題しているの?」と質問もしないでいきなり)

幹「題目が上がっていないからよ!」

と言われました。

私「毎日3時間、唱題してます。」

 

幹「じゃあ、御本尊様を疑っているからよ!」

私「疑ってなんかいません。」 

幹「まさか、あなたの家のご本尊は【日顕の本尊】じゃないでしょうね?」

私「れっきとした【創価学会の御本尊】様です。」

↑(今思うと笑える。)😂😂😂

 

幹「自行だけじゃだめなのよ!折伏をしていないからよ!」

私「結果はまだですが、折伏しています。」

 

幹「広宣流布のお役に立つと誓わないからよ!」

私「広宣流布のお役に立ちます!と祈っています。」

 

幹「じゃあ、

『あなたの願いが叶ったら、あなたの為にならない』

と御本尊様が判断して、あなたの願いをわざと叶わなくしているのよ!」

私「何言ってるんですか?切実な願いです。命懸けの願いです。これを『叶わない方がお前の為だ』なんて言う仏様がありますか?」

・・・なんか、指導を受けたこと自体を後悔しました。

 

どの幹部に聞いてもテンプレなんです。

ああ言えば、こう返す。

1秒たりとも幹部自身の頭で考えることなく、答が返ってくるんだけど、何ひとつ心に刺さらない。

 

婦人部の幹部といっても、夫婦関係、親子関係、金銭問題を抱えて泥沼でもがいている主婦で凡夫。世間のことに耳目を塞いだ、視野の狭い創価凡夫ですから、他人の人生のことなんて指導できるはずが無いんです。

 

教団の中で質問したり、疑問を口にすると、

「地獄に堕ちる」

と言われるか、

「謗法」「反逆者」と言われるので黙るしかなかったけど、

 

気づきは身近にありました。

 

 

古臭い服を着て、昼下がりに唐突に布教にやってくる○○教だの、エホバだのの信者達。

 

創価学会法華講の訪問折伏や、選挙や新聞のお願いも、一般人の目には、○○教や、エホバや、旧統一教会と同じに見えるんです。

不気味で迷惑な人達。

 

どの宗教の人も、自分達だけが唯一正しい宗教だと信じているんです。

 

母が失い、私達子供が失った60年という時間。

 

胡散臭い宗教に騙されて、自分だけでなく、子供の人生もダメにするのは、やっぱり女の業が深いからでしょうか?

 

・・・・・・・・・・・・

 

宗門を否定しながら、日寛本尊をコピーして会員に拝ませる創価学会。表装を豪華にしても、拝む部分は日寛本尊。

 

日顕本尊に向かって、日顕撲滅、日顕宗撲滅を狂ったように祈ってきた私の兄弟達。

 

もしも本尊掛け軸に魂が宿っていたら、呪いが10倍返しになっていたかもです。

 

自分の嫌いな人に向かって、

「お前なんか滅びてしまえ、タヒんでしまえ!」

と言ったら、相手もこちらを恨んだり憎んだりするでしょうに、撲滅を呪詛している相手に、

「幸福にしてください。」🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏

だなんて、拝むなんて支離滅裂なんですけど、票取りと、新聞押し売りと、三桁財務が夢なんて生活をしていると、そんな矛盾にも気がつかない。

それが洗脳の怖さです。

 

一日も早く、皆が気づいてくれるように。🙏🙏🙏

盗人の正義。

指1本で他人のブログを盗んで、

他人のブログに解説をつけて評論家を気取る嫌な奴が居る。

 

正義のつもりらしい。

 

アンチのブログは、

自分と、親の、悲しく腹立たしい記憶、

 

そして自分も活動家として、加害者だったという、

つらい記憶と向き合って、血を吐く思いで一行、一行、書いたものだ。

 

 

活動が嫌だから創価学会をやめたくせに、

「池田センセーの悪口は許さない!」

 

更に、活動が嫌だから法華講も非活のくせに、

日蓮、題目、御本尊の否定は許さない!」

 

という、自語相違のずるい人間が、血を吐く思いでブログを書いている人達に、次々と、粘着して、いくつものブログ閉鎖に追い込んできた。

 

自分は一人日蓮信者だとうそぶきながら、題目に限界を感じて、【瞑想】をやっている。

【瞑想】は日蓮が批判していた【禅】ではないのか?

 

創価学会日蓮正宗で信仰に励んで、結果創価学会日蓮正宗もインチキだと気がついて、そこを去った人に、

 

「本気で祈らなかった」

だの、

「本当は信じていなかった。」

だの、

戯言を言って、傷に塩を塗り付けるブログ盗人。

 

自分のしていることがわからないなら、

キリスト教の?あなたの娘に、あなたのコピペブログを読ませてみればいい。

 

 

 

 

有象無象のネットの世界で、

『気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ』の気楽さんと、

法華講の山田さんと、

卒塔婆こまっちさんを知ることができたのが、何よりも収穫だと思います。

 

気楽さんには、教学でお世話になり、励ましもいただきました。

山田さんには、(私よりも高齢なのに)自分の信仰の過ちに気づいたら、潔く辞める筋の通った生き方と、病気にも前向きな精神の強さを学び、

卒塔婆こまっちさんには、過去の高額財務を笑い飛ばして、未来だけを見て終活に励む潔さと、断捨離生活を学ばせていただきました。

 

御三方とも、ネットをやっていなければ知ることはできませんでした。

私は、昔話を書いているだけなので、どなたにも参考にも、励ましにもならないと思いますが、親から背負わされた信仰が重荷になっている方が、荷物を下ろす参考になれば幸いです。

 

私達夫婦の終活は、まだ途中なのですが、

あの世に行く時には、無宗教の夫には、亡くなった義母が迎えに来る予定です。私が亡くなる時には、夫が迎えに来るそうです。(夫よりも私が先に死んだら、ややこしいですね。)

死後の世界には、現世にあるような宗教の縄張りが無い、平穏な世界があることを期待しています。

 

 

 

 

独り言。

人生の一番可能性ある時を、

日蓮と題目と教団に奪われて覚醒した人間は、

 

覚醒後の人生で、

いかに苦しく切ない事に遭遇しても、

 

日蓮と題目に助けを求める事は無い。

 

何故なら、日蓮と題目には既に裏切られた【結果】が出ているから。

 

日蓮に助けを求めるくらいなら、

阿弥陀仏でも、キリストでも、八百万の神でも、

 

まだ裏切られたことがないものに、

願いをかけるのではないかと、

それが普通の人情だと、

私は思う。

 

何故に、日蓮に懲りた人間に、

何の効力もない題目を勧める者が居るのか?

 

私は理解できない。

日蓮正宗が顕正会と和解したら?

気楽さんのXツイッターをみて思いました。

 

日蓮正宗顕正会と和解して、顕正会員を吸収することが、日蓮正宗の宗勢拡大になるのかな?

かつての創価学会のように顕正会員をひとつの講として扱う事は、創価学会を制御できなかった同じ轍を踏むことになりますし、

顕正会員を、バラバラにして末寺に所属させても、元創価学会出身の法華講員と派閥ができて、末寺がますます新興宗教臭くなるだけでしょう。

 

私が所属していた末寺でも、元顕正会員がいましたけど、勤行の時の合掌の姿勢が違和感がありました。

法華講では、勤行の時の姿勢、合掌、肘の角度までしつけられましたが、身についた癖はなかなか矯正できませんし、特に大人は、信頼関係の無い人にしつけをされるのは素直に受け入れられません。

 

創価学会臭い法華講員と顕正会臭い法華講員を、うまく競わせて布教活動させても、末寺には先祖代代の生粋の法華講員が殆どいませんから、ただ板本尊と法主を敬うだけでは、年寄りはともかく若い人はついてこないでしょう。

 

古い法華講員が新参講員を見下したり、イジメをすれば新参講員は寺を去るでしょう。

イジメをする人は住職さんの前では猫を被っていますから、住職さんは知りません。

寺に行く度にイジメられるくらいなら、行かなくなりますし、何十年信心しても新参イジメという醜い命(心)を清らかにできない信心なら、やる意味がありません。

 

機関紙を見ればわかるように、他教団からの改宗、帰伏者は、いくら折伏の成果を上げても「過去の大謗法の懺悔」をすることが前提ですから、いつか虚しさに襲われる日がくるでしょう。

 

また、今は顕正会員は、見たくても見ることができない戒壇の板本尊を渇仰恋慕していますが、実際に見たら渇仰恋慕の気持ちはおさまるでしょう。

何の功徳も無い黒い板を有り難がっても救いにならないと気がついたら、心がざわついてくるでしょう。

熱い気持ちが冷静になった時に、元顕の信者をつなぎ止めることはできるでしょうか?

重要なのは僧侶の指導力だと思います。

 

がつがつ折伏しなくてもいい根檀家さんと、罪障消滅に必死にならないといけない新参改宗講員の二重構造。新参講員はいつまで耐えられるでしょうか?

大石寺は、気がついたら塔中の根檀家さんの祭祀専門の田舎寺に戻るのではないかと思います。

 

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これから日蓮正宗に改宗しようとしている創価学会員さん、顕正会員さんは、入信入講手続きをする前に、寺院の住職さんや、紹介者の人に、

『気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ☆』

の『戒壇本尊』に関する記事の中から、いくつか質問してみてください。

それと、創価学会顕正会という大謗法の新興宗教を生み出してしまったことに、宗門として反省の気持ちは有るのか?を質問してみてください。

納得のいく、誠意ある回答を貰えるでしょうか?

法華講員になってからでは遅いのです。

あなたの人生を無駄にしない為です。

 

大石寺が魂の故郷になるのは、富士宮一帯の根檀家さんと、塔中所属の新参講員の一部の人で、元創価学会、元顕正会の人間には、大石寺が魂の故郷にはなり得ないと思います。