自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

罰ってなんですか?

私の母親は、よく私に罰を当てる人だった。

 

子供の時はもちろん、私が結婚して子供ができてからも、わざわざ罰を当てに我が家にやってきた。

 

子育てを手伝ってくれたことは一度も無い。

バスに乗れば来れる距離に住んでいても、私の子供のおむつを替えてくれたことも一度も無い。

 

母親からくだらない愚痴電話がかかってきた時に、私と子供がインフルエンザで高熱を出していて、

 

私「今インフルエンザで熱で、凄くつらいから、電話切るね。」

と言ったら、

母親「罰が当たったんだ、ざまあみろ!

どうしてそうなったか、胸に手を当てて考えてみろ!」

と言われた。

(当時、私はまだ創価学会婦人部だった。)

 

私「罰ってどういうこと?インフルエンザは誰でもかかる感染症よ!」

母親「じゃあ、インフルエンザが功徳なのか?

世の中には罰と功徳の二つしか無いんだ!

功徳じゃなけりゃ罰なんだ!」

 

電話を切りました。

 

病気の娘に見舞いの一言すら無く、「罰・罰・罰」と怒鳴って勝ち誇ったような母親に吐き気がしました。

 

 

創価学会毒親なんて、そんなものです。

 

自分は、具合が悪いだの、お金が無いだの泣き言を言ってくるくせにです。

私は親に対して、

「罰が当たった。ざまあみろ!」

なんて言いませんけど。

 

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日蓮正宗創価学会の罵り合いも、同じです。

 

敵の不幸は蜜の味とばかりに、

創価学会の○○が事故に遭った。罰だ。」

法華講の○○が病気で死んだ。罰だ。」

 

教団の機関紙も、会員、講員の噂話も、敵の悪口ならば、なんでもありです。

 

同根の自称仏教徒が、激しく罵りあう醜さ。

相手の弱みを握ろうと、日夜お互いを見張る異常さ。

 

こんなのに巻き込まれない為には、一切関わらないのが一番です。