私の母親は、よく私に罰を当てる人だった。
子供の時はもちろん、私が結婚して子供ができてからも、わざわざ罰を当てに我が家にやってきた。
子育てを手伝ってくれたことは一度も無い。
バスに乗れば来れる距離に住んでいても、私の子供のおむつを替えてくれたことも一度も無い。
母親からくだらない愚痴電話がかかってきた時に、私と子供がインフルエンザで高熱を出していて、
私「今インフルエンザで熱で、凄くつらいから、電話切るね。」
と言ったら、
母親「罰が当たったんだ、ざまあみろ!
どうしてそうなったか、胸に手を当てて考えてみろ!」
と言われた。
(当時、私はまだ創価学会婦人部だった。)
私「罰ってどういうこと?インフルエンザは誰でもかかる感染症よ!」
母親「じゃあ、インフルエンザが功徳なのか?
世の中には罰と功徳の二つしか無いんだ!
功徳じゃなけりゃ罰なんだ!」
電話を切りました。
病気の娘に見舞いの一言すら無く、「罰・罰・罰」と怒鳴って勝ち誇ったような母親に吐き気がしました。
自分は、具合が悪いだの、お金が無いだの泣き言を言ってくるくせにです。
私は親に対して、
「罰が当たった。ざまあみろ!」
なんて言いませんけど。
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敵の不幸は蜜の味とばかりに、
「創価学会の○○が事故に遭った。罰だ。」
「法華講の○○が病気で死んだ。罰だ。」
教団の機関紙も、会員、講員の噂話も、敵の悪口ならば、なんでもありです。
同根の自称仏教徒が、激しく罵りあう醜さ。
相手の弱みを握ろうと、日夜お互いを見張る異常さ。
こんなのに巻き込まれない為には、一切関わらないのが一番です。