自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

「記念撮影会」から始まった50年の生き地獄。

 

「記念撮影会」というのは、

昭和45年の「言論問題」→謝罪の後で、

昭和46年から48年にかけて、日本全国で行われていました。

 

「記念撮影会」が何を記念して行われたかは、うやむやです。(創価学会では主語や目的語が省略されていることが多いです。)

当時、大石寺正本堂を建設中(昭和47年落成)だったので、表向きは「正本堂建立記念」ですが、

実際は、記念撮影会は池田門下生の人材グループの結成式でした。

(記念撮影会で撮影した集合写真は、正本堂の線描イラストが描かれた白い封筒に入っていたと記憶しています。既に処分して残っていません。)

 

小学校高学年(例外的に4年生もいた)から、中学生、高校生、大学生の選抜されたメンバーが召集されて池田氏と1枚の集合写真に収まりました。(全国各地で結成式が行われ総勢3000名程です。)

 

撮影会が終わると担当幹部に、

「君達は今日から○○会だ。これから一生このメンバーでやっていく。一人の退転者も出さないように・・・」

と言われました。

 

「記念撮影会」に参加するまで、

全国幹部の家庭訪問

筆記試験

面談

等がありましたが、

何の為にそれが行われているのかは知らされていませんでした。

 

「記念撮影会」が終われば全て終わると思って、当日は出かけました。

 

それが池田氏との集合写真を撮ったら「池田門下生」になってしまい、自分の人生を自分の自由にできなくなりました。

 

メンバーの中には、公明党の議員の子供もいましたし、本部職員、外郭職員の子供もいましたから、そういう人達は「記念撮影会」に参加することの意味、選抜されることの意味を知っていました。会社経営者の子供もいました。(貧乏人と病人の集まりと揶揄された創価学会に、こんなに恵まれた環境の人が居るのかと驚きました。)

当時の文化新聞や高校新報・学会書籍等に出ていた人もいました。

初対面なのに

「あ、この人知ってる。○○の本に出ていた人だ。」

と思いました。

池田氏の構想を実現する一騎当千捨て駒になることが、私達の使命でした。

 

「会合で聞いた話は親兄弟にも言ってはいけない。」

 

と厳しく言われました。人材グループとして訓練を重ねていくうちに、ごく普通の末端会員だった家族との【信仰・思想的な乖離】が大きくなりました。

 

今なら「親に言ってはいけない。」は児童虐待です。

 

私達は幹部に言われたことは素直に受け入れ、要求された事を達成できるだろう子供達が選抜されていたのでした。

 

メンバーの多くは本部・会館・外郭職員になり、大幹部になりました。

公明党という権力、外交官や、司法、官僚、国際機関の職員、医師、文化人等々、日本のあらゆるところに池田門下生の配備が完了したところで突然、池田氏が健康問題で表舞台から退場しました。

 

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言論問題

池田氏の本尊模刻問題

お詫び登山、200ヶ寺寄進

52年問題

会長勇退

名誉会長就任

宗門からの破門

撲滅祈願

その間の、大幹部の粛清、反逆者撲滅キャンペーンを、一般の末端会員の子供よりは信濃町に近い子供~青年として、激動の昭和に見せつけられて、末端会員である親兄弟に何を言っても話も通じない。退会もできない。10代で心を病みました。

ただ、自分の心を押し殺して数十年を過ごしました。

(親兄弟にとっては、撲滅相手のH元教学部長だの、F元副会長だのは、新聞の活字でしか知らない、単なる記号ですが、私にとっては、H元教学部長やF元副会長は、生きている人間なのです。知っている人を呪ったりできますか?)

 

 

(私達のグループの後にも、続々と人材グループが結成されました。また創価学園が人材グループの代わりに池田門下生を輩出する機関にもなりましたが、昭和50年代でも、学園生には、使命感とやる気に燃えて勉学に励んでいるグループと、親に無理矢理学園生にされて、やさぐれているグループの二層に分かれていて、高校から受験で入って来ると、その中間くらいだと、友人の学園生に聞きました。

 

最近、学園生の自殺のニュースを知り、今の学会っ子には私達が子供の頃とは別のつらさがあると思います。今や完全な情報統制はできません。スマホやネットで創価学会の悪い噂や、創価学会に対する世間の評価を知り、逃げ出したくても創価学園出身という記録は、創価大学以外の一般の大学に行って、○○大学卒業と上書きする以外にありませんが、創価学園では、外部の一般大学に進学するのに協力的ではないようです。)

 

関西創価学園の修学旅行は

信濃町池田氏に会ってお小遣をもらって、帰ったら「お元気な池田氏に会った」と周囲に言うこと〕

だったらしいですが、子供達が車の中に座っているだけの池田氏?を見て、地元に帰って、いろいろな場面で

「お元気なセンセー」😄😄😄

って言わされるのは、つらくなかったのでしょうか?

 

それともあの「蝋人形のような姿」がお元気に見えるくらいに洗脳されている子供だけが信濃町で車中のセンセー?を目撃できたのでしょうか?

 

関西創価学園の修学旅行の子供は、1人5000円だか、お小遣をもらったらしいです。

私は昔、封筒に入った千円をもらいました。退会するまで長いこと、封筒のままアルバムに貼ってありました。

私が創価学会に払った(奪われた)お金と時間と精神の健康は、幾らになるでしょうか?

 

全ては、あの「記念撮影会」から始まりました。

 

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人材グループですが、

数年おきに、

「池田先生にご報告するから」

と、現況調査がされました。

進学先、就職先、国家試験に合格したとか、創価学会での役職、その他、何人を折伏したとかです。

『破門問題』が起きる前から、名簿には退会、連絡不可、所在不明等の文字が並ぶようになりました。情報収集されるだけで、新しい名簿は送られて来なくなりました。多分退会とか、所在不明が増えたのでしょう。

「退転したら反逆者として広宣流布の歴史に永遠に名前を残す。」

と、中学生の頃に会合で池田氏から言われました。(脅しです。)

グループ結成時に小・中学生だと、親が退会すれば親に従うしかありません。人材グループの勉強会、指導会では、本当に厳しい教育をされましたから、どのメンバーの命にも、

広宣流布の為に、池田センセーの為に生きる。」

という指導=要求が深く刻まれていたはずです。

親に従い脱会する、或は法華講に行くにしても深い葛藤があったでしょう。

未成年に、親が見ていない所で強烈な思想教育を施すのは、精神を破壊する虐待です。

 

現在も幹部や活動家をやっている、かつてのグループの人には蔑まれるに違いない退転者の私です。

親や兄弟にも理解されませんし、宗教と縁の無い夫や子供にも、脱会する頃の、癌患者用の痛み止めも効かない、24時間のたうちまわる苦しみは理解されませんでした。天涯孤独です。

 

今思えば人材グループの結成は、池田氏が「言論問題」で謝罪させられたことへの、日本社会に対する報復の第一歩でした。

 

退会した人間に監視をつけたり、常軌を逸した嫌がらせや脅迫をするのも犯罪です。

 

私は退会時、ひどい目にあいました。ブログを書くことで、特定されてまた私や家族が〔命にかかわる嫌がらせ〕をされるのではと心配です。

もし、また何かがあれば警察に訴えます。世間が旧統一教会の事で宗教にうるさくなっていますから、今度は警察もきちんと話を聞いてくれると思います。

 

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洗脳するなら、自我を持つ大人よりも、無垢な子供の方が簡単です。

自分の野望の為には、無垢な子供を平気で洗脳する池田氏

本部職員になり、池田氏の代作をして、海外からの表彰状や名誉称号をかき集める為に人生を費やしてきた、かつての弟子達。

そして創価学会からの広告発注のマスコミや、会館建設請負ゼネコン、株式保有企業の忖度でコントロールされている世論。

10年後に、創価学会に対してどんな総括がされるのか、生きて見てみたいです。