今日(2022.12.10)の気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ☆を読ませていただきました。その中の文章を引用させていただき、当時の学会2世の私の記憶と合わせて、感想を書きます。
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言論出版妨害事件について、創価学会側の反省したことを振り返る。
昭和45.5.3の日大講堂での本部総会
『創価学会の体質問題』
「学会の体質ということについては、言論問題を巡る種々の批判のなかでも、論議されてきたことではありますが、私どもとしても、受け入れるべきは冷静に受け入れ、改めるべきは率直に改めていかなくてはならないと思う。」
「言論、信仰の自由を守り抜くことこそ、創価学会の生命線」
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という文章に対する強烈な違和感を感じました。
これらはあくまでも世間に対する誤魔化しのメッセージです。
言論問題は本当に最低な事件でした。自分の親も言論部員として汚いことをしました。自分の親と創価学会を卑劣で汚いと感じた最初の出来事でした。
創価学会が体質を改めるどころか、池田氏の世間に対する恨みから、世間に見えないところで国家権力に浸透していこうとする活動は激しくなります。
『世間があっと言う時が広宣流布だ。』
という池田氏の言葉はよく知られています。
《世間があっと言うという》こととは、警察や裁判所を始めとして、国家権力の隅々に創価学会の思想=池田思想を帯した人材を送り込むということでした。昭和46年頃から全国に大学会、鳳雛会、未来会といった人材グループを結成していきました。その後も○○塾などの人材グループを続々と作り、創価学園・創価大学という教育機関を利用して、2世・3世に創価イズム、池田思想を植付けて、
「広宣流布の為、池田先生の為にお役に立てる人材になります。」
という若者を量産して、実際に国会議員から地方議員、上級官庁から、ビジネス、マスコミ、教育関係、あらゆる業界に人材を送り込みました。現在の学会の指導部も人材グループ上がりでしょう。(こういう権力奪取の為のぬかりの無い人材育成は日蓮正宗がいくら法主が号令しても真似ができません。少なくとも池田氏には《創価王国》の具体像があった。日蓮正宗の法主は、例えば日本に日蓮正宗が広宣流布したらどうなるというビジョンを示せないでしょう。)
選挙・財務に対して、一言疑問を発しただけで、活動停止・会館拠点への出入り禁止、査問、除名。まるで昭和40年代の○○派セクトです。
「一人の学会員」氏に対するスラップ訴訟の数々。声をあげた人が長年公明党の為に活動して来たのに「共産党のスパイ」というデマで組織を上げて攻撃する。
創価学会に【信仰】があるか?といえば、
【池田先生は絶対正しい!、池田先生が作って下さった公明党は絶対正しい!】
これだけが池田氏が会長就任してからの不変のものです。
個人宅の仏壇の中の本尊も創価学会製のに変わり
仏壇の鶴丸も八葉蓮華に変わり
勤行も変わり(特に祈念文)→池田氏の神聖化
教義教学も書き換えられ、都合の悪い書籍は絶版しています。
池田氏の思想をよく現している言葉
「反逆者にはこの野郎、馬鹿野郎でいいんだ。」
どこに反省がありますか?
私は創価学会、池田氏の野望は9割、ほぼ達成されたと思います。
最後のところで、肝心の池田氏がいわゆる【死に体】で人前に出られなくなった。
インターネットのお陰で、昭和の頃に完璧だった情報統制が破れた。
その事が、創価学会の崩壊を早めたことは間違いないでしょう。
オウム真理教の事件の時に、オウムが潰されたら次は創価学会が潰されると慌てふためいた幹部の人たち。
あの時は、
「オウムと創価学会は全然違うのに、何を恐れているのか?」
と思いましたが、旧統一教会の問題で安倍氏が襲撃されてからの数ヶ月で、
と実感しました。
「創価学会に批判を受け入れる姿勢はあるか?」
他人の批判を受け入れる姿勢があれば、山ほどの訴訟沙汰は無いでしょうし、長井秀和さんへの抗議なんかしなかったでしょうね。
『言論、信仰の自由を守り抜くことこそ、創価学会の生命線』ですか?
【信濃町の】とか【信濃町に従順な創価学会員の】とか、自分達だけに都合がよい言論の自由を守り抜くことこそ創価学会の生命線でしょう。
刃向かう者の言論、信仰の自由など守る気がさらさら無いのが創価学会でしょう。