自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

日蓮が衣食足りて親の愛情に満足していたら

日蓮は常に飢えていたと思います。

御書にも、すきっ腹に酒を飲んで暖を取るとか、

訪ねてきた弟子達を、食料がないので追い返したとか、

板間が合わないお堂で生米をかじるとか、

そんな状況説明があります。

 

衣食が足りていないだけでなく、

愛情にも飢えていたと思います。

兄弟の中で、一人だけ別扱いで、幼少から勉強させられ、寺に預けられます。

他の兄弟は貧乏でも母親に甘えて、子供らしく過ごして居るのを見て、寂しくなかったはずはありません。

 

それならば僧侶として名を成して、国師になれるかといえば、比叡山は理想とは違い、ならばと野に出ても、既に鎌倉仏教のニューウェーブには出遅れました。

当時の亡者の如く虫けらのように扱われている庶民非人を、経文ではなく社会福祉で救済している極楽寺良観忍性を妬んで敵視したものと思われます。

 

本当に我欲無く人間を救いたいと思えば、良観の運営している施設を手伝って、最下層の癩病の人の世話をしながら、死に怯える人に仏教を説けばよかった。

それが出来ずに、過激に歪んだ解釈の法華経を説いたのは、日蓮の欲なのだと思います。

 

そして日蓮の激しい飢えが、後の世の同じような飢えや不満を抱えた人間の怨念を掻き立ててカルトの温床になる。

世間を見返してやりたい。

親に自分こそが一番可愛い子供だと認められたい。

信者には妻子に未練を持つなと言いながら、自分は母親への未練が捨てられない。

「我日本の・・・」という文言には、主師親の三徳ではなく凄まじい出世欲を感じます。そこに池田大作氏は共鳴したのだと思います。

池田大作というすね者の被った衣こそ、鎌倉時代と昭和という時を超越した怨念と嫉妬のエネルギーだったと思います。

 

創価学会広宣流布の為と言い、世間よりも貧しい信者から膨大な財務を吸い上げて来ましたが、集めたお金を広宣流布の為に使ったという証拠はありません。国内外の創価学会は衰退し、創価学会が国内外の災害に対して出した義援金もすずめの涙です。

 

公式に池田名誉会長の死が宣言された今、亡き池田氏に徳を積ませる為にも、膨大な資産を貧困老人の為の施設を作るなりして、数十年間迷惑をかけてきた世間にお詫びしてほしいです。