子供の頃に「池田先生に年賀状を書きなさい。」と言われて年賀状を書いていました。もちろん返事は無かったです。お忙しいセンセーから別に返事が来るとは思っていませんでした。毎年決意を書いていました。ある意味洗脳でした。
創価学会の婦人部だった頃に、毎年地区婦人部長や、女子部時代の先輩達から年賀状が来ました。もちろん返事を書きました。単なる挨拶だけではなく、信仰をお互いに確認していたと思います。📪📮
創価学会の地区婦人部長だと、毎年数百枚は年賀状を出していると思います。地区だけではなく、選挙をお願いしたり、セミナーや小単位に呼ぶ外部の知人にも自腹で年賀状を出していたと思います。地域の活動を始め、独居会員の世話など、法華講からは【池田教】と馬鹿にされますが、広宣流布の為に無償の奉仕です。🙇
私は法華講員になって初めてのお正月にお寺の住職さんに年賀状を書きました。もちろん元旦勤行にも御供養を持って参詣しました。年賀状の返事は来ませんでした。元旦勤行に参詣してカレンダーをもらうのが、日蓮正宗の挨拶だと言われたらそれまでですが、法華講員になってみて、初めて創価学会の地区婦人部長が偉く感じました。
お寺からは月1で寺報が来てましたが、参詣を促す為の営業用にしか思えませんでした。たかが年賀状ですが、それでも住職さんから返事があれば励みになったと思います。
私がお寺に行くのをやめたら、地区長さんから、
「どうしてお寺に来ないんですか?💢御住職様が心配していますよ。💢」
と電話が来ました。「御住職様が心配していますよ。」はテンプレだと思います。
創価学会では、会館でやる中継とか、参加したその日に婦人部長から
「今日は中継参加ご苦労様でした。」😊
と電話がかかって来ました。(入場券戻しで確認しているでしょう。)💦
法華講で御講の時に出席表に名前を書かせて、住職さんが御祈念?(題目をあげている時に、出席表をぺらぺらめくっていた)していましたが、なんか意味があったでしょうか?
地区長さんから年賀状が来た事はありませんでした。台風で御講に行けなかった時に、すごい剣幕で
「どうして御講に来なかったんですか?」💢💢💢
と電話で言われて、
「あの豪雨と暴風で命懸けで行く価値がありますか?」
と言いかけて虚しくなりました。
「講員が○千人も居るのに、いちいち一人に構っていられません。」
というのがお寺の考えなのでしょうが、御講に毎月参詣していたのは数十人ですよ。いつも同じ顔ぶれ。人を育てるという雰囲気はどこにもありませんでした。
「法華講の信心は自己責任です。」
とか、ブログやツイッターに綺麗事を書いている法華講員さんが多数いますが、法華講には誰かを育成する能力も気概もありません。
【池田教の婦人部】ほどの使命感があれば、活動家の育成は無理でも参詣者を定着させることはできたのではないかと思いますけど。😥
世間一般のお寺さんは檀家が百軒とかで維持に苦労していますが、日蓮正宗の末寺はペーパー講員が○千人いれば、飯は食えると思います。😁😁😁
遠くから、生温かく見守りたいと思います。🙋🙋🙋👋👋👋