教団が手を出さなくても、勝手にアンチ同士が潰し合ってくれるから。
日蓮正宗や創価学会の胡散臭い歴史や、教学の矛盾を追及していけば、皆ある程度似たスレッドが立つ事は有るだろう。
自分が発表しているものに似ているから、他の人が同じようなテーマを取り上げるとパクリだと言いがかりをつける人がいる。
だが、極論すれば、『大石寺の板本尊批判』一つでも
大石寺の板本尊が日蓮在世の物で無く、後の造り物だと言う説は、日有が板本尊をこしらえた時点で、【他山から物言いがついたのが、板本尊偽作説の始め】なので、それ以降の板本尊批判は全部パクリだと言うことになる。
だとすると、後世の研究者は皆パクリの謗りを受けることになる。
真摯に文献を読み、資料を明示して、事実を列挙しても、そのような謗りを受けるのは全くおかしい。
気楽さんは、文献、資料、引用元をきちんと記しているし、己の名誉の為に、日蓮正宗や創価学会を批判しているのではない。
「世界で唯一の正しい宗教」だとか、
「批判、退転すれば地獄に堕ちる」等の、
邪義妄説で人生を無駄にした人や、現在も親兄弟が引き裂かれて苦労している人に、
大石寺の妄説に縛られなくてもいいという理由を、地道に集めて、私のような無学の者にもわかりやすくブログにしてくれている。
ブログで現に救われている人がいる。
これは尊いことだと思う。
ブログのアクセスが増えても、気楽さんには1円の得にもならないが、それでも気楽さんのブログで長年の縛りを解いて、自分を取り戻す人がいる。
同じアンチでありながらそれをどうして喜べないのかが不思議だ。言い掛かりをつけてくる輩は、日蓮正宗や創価学会の信仰で苦労している人を救う為で無く、自分の名誉の為に発表しているのか?
日蓮正宗の嘘が許せなくて、研究を始めたのではないのか?
気楽さんに言い掛かりをつけた人は、自分の書いたものと、気楽さんの書いたものを時系列で、比較してみなければいけない。
気楽さんのブログに書いて有る事が、すべて、その言い掛かりをつけた人のものと被っているのか?
また、同じ対象について書いた項目が、読者がパクリだと感じるような文章なのか。
おそらく、アンチブログや、ツイッターを書きはじめた理由は皆同じだ。
教団に対する怒り、
失われた自分の人生に対する怒り、
覚醒した自分と覚醒しない家族に対する怒り、絶望、悲しみ。
気楽さんの場合は、お母様の供養のつもりで、集めた資料の研究や、創価学会での自身の経験、草創期の活動家だったお父様の事を書き、読者に公開してくれている。
私のような、教学の基本も無く、老眼で、頭も鈍った読者にもわかる平易な文章で書き続けてくれる事がありがたい。
家事や、介護に追われる者に取って、読みやすい事がありがたい。
読んだ後、自分でも調べてみようとか、紹介されている本を読んでみようとか思えるから。
気楽さんを批判、攻撃するならば、そのブログ主は、もっともっとわかりやすいブログを書くことにエネルギーを注いでもらいたい。そうすれば自然と、そのブログへの賛辞がネットに溢れるだろう。
教学の知識を持つブログ主さんは、その持っている知識を、持っていないで悩んでいる人に公開してほしい。
多くの日蓮正宗や創価学会で苦しんでいる人が、広大なネットの海でどちらのブログにたどり着いても、たどり着いた人の心を癒し、教団の縛りから解き放たれて自由になれる手助けをしてほしい。
溺れる人がつかまろうとする浮き木や島を砕くような事は、アンチの目的に反すると思う。
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まあ、気楽さんを口撃して、万が一、気楽さんのブログが消えたら、
その口撃したブログ主は、アンチ界隈で1番の嫌われブログになる事は間違いないだろう。
大石寺には褒められるだろうけど。