自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

脊髄反射で話す人が多過ぎる

ネットをやっていると、

自分を批判する人間

自分と違う立場の意見の人間

を敵認定して

「お前は法華講員だ!」

「お前は創価学会員だ!」

と、決め付ける人が多過ぎる。

 

教団の中に居ると

日顕宗!」

「池田教!」

という罵倒三昧だったから、そういう

「己と異なる考えの人間は敵側の人間」

という考えになるのも仕方ないが、

「破門」

ルネッサンス

以来の両教団が、いかに考えない人間を量産してきたか?

悲しくなる。

 

どちらの教団も活動家を奮い立たせるには、相手方の攻撃のツボを徹底的に教え込んだのだろうが、

自分と対面する側の人が、

かつては一堂に会して同じ板本尊に向かい、

形ばかりでも世界平和を共に祈った、

同志であり、

家族親戚であり、

友人であった人であることも、

消し去っている。

 

秒で反撃しないと死ぬのは、死屍累々の砲弾飛び交う戦場であり、

平和な世界では、相手の言うことを理解して、考えて、反論するものだし、

自分が間違っていれば謝罪するものだ。

 

釈迦が説いたのは、よく思索して、自分の人生を善に導いていく事だと思うが、

 

日蓮も、

大石寺も、

創価学会も、

戦略として相手を怒らせることを使い過ぎて、

好戦的な物言いが尊ばれる、凡そ仏教とは掛け離れた人々を量産してしまった。

 

教団の首領に慈悲の一片でもあれば、こうも醜い人々を量産することはなかったはずだ。

 

良い宗教は魂を浄化させ、悪い宗教は魂を劣化させる。

日蓮正宗も、創価学会も、やればやるほど魂(人間性)が劣化する。

情けない。

 

既に、政治集金集団に成り果てた創価学会は勿論、

信者を善導する師匠が居るはずの日蓮正宗でさえ、創価学会への憎悪を剥き出しにしているのを見れば、宗教なんかに関わらない一般市民の方が仁徳、慈悲が優れているのは何とも悲しい。