自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

創価学会も日蓮正宗も卒業してからが本当の人生。

ブログ村の某ブログで、

 

日蓮正宗にあって創価学会に無いものは、「僧侶と導師本尊と引導」と書いてあった。

 

では創価学会にあって日蓮正宗に無いものは、

「励まし、人情、同苦する心」だと思う。

 

「僧侶と導師本尊と引導」って、葬式の時のことだ。

僧侶と導師本尊と引導があったら、間違いなく成仏して来世が保証されるのか?

誰も証明できない。

日蓮正宗だと成仏して、日蓮宗だと成仏しない証明もできない。

導師本尊も、戒壇本尊の写しなのなら、戒壇本尊が日有のこしらえた偽物ならば、導師本尊も偽物なのではないか?

日蓮正宗曼荼羅が「為現当二世」ならば、来世も含まれるのだから、わざわざ閻魔法皇なんておどろおどろしいものを書く必要が有るのか?

どちらにしろ「僧侶と導師本尊と引導」で成仏できるかできないか?

真実が分かるのは棺桶の中なので、それを家族に伝えることもできない。

 

創価学会の「励まし、人情、同苦する心」は、末端のおばちゃん幹部の自己犠牲で成り立って来た。信濃町が偉いんじゃなくて、自分の生活・家族を犠牲にしてきた末端のおばちゃん幹部が偉いのだ。

それでもバブルの崩壊、リーマンショック、失われた30年で、末端のおばちゃん達も他人の面倒を見る余裕が無いほど疲弊してしまったけどね。

 

「僧侶と導師本尊と引導」は葬式仏教の象徴みたいだし、

「励まし、人情、同苦する心」は生きていく為の象徴に思える。

死んでからお経を上げてもらうよりは、生きてもがいている時に励ましてもらいたい。

 

山田さんの気持ちが、何となく分かる。

 

法華講って、プライドはあるけど、人情はゼロだった。

でも、今の創価学会は50年前の創価学会じゃない。

創価学会の存在価値は、【下層階級の互助会組織】だったことだけど、聖教新聞の配達も外注する現在、互助会は崩壊したと思う。

 

人情だったら、宗教抜きで、町内会でも老人会でも友達を増やして、知恵を借りたり、手を貸したりした方がいいと思う。

この世の中、たかが宗教のことで差別したり、えり好みしていられる程簡単じゃない。

同じ宗教だけどいけ好かない奴よりは、違う宗教でも気心が合う人の方がいいよね?

 

創価学会の末端活動家だった私の親も、

法華講の活動家の地区長さんも、

来世が怖くて今の人生を教団に捧げた可哀相な人にしか見えない。