自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

私の中にもある闇・・・

大石寺系の信仰をやったことがある人には、

敵を見たら猟犬のように噛み付く性格があるよね?

私自身も、自分の中のどす黒いものに辟易することがある。

 

 

 

 

猟犬ていうのは、いつも飢えていなくてはいけない。

現状に満足してはいけない。

そしていつも腹を空かせて獲物を探す。

 

猟犬が獲物に噛み付いて仕留めたら、

猟師は獲物を取り上げて、

獲物の内臓を捌いて、猟犬に少しくれてやる。

猟犬は自分が仕留めた獲物を、

主がおすそ分けしてくれるのをおとなしく待つ。

獰猛さと、恭順とを兼ね備えていないと猟犬はつとまらない。

 

獲物を狩れなくなった猟犬は捨てられる。

捨てられるのが恐いから、猟犬は必死に猟師の機嫌を取るために、

むやみに獲物を探して吠え続ける。

 

猟犬は猟犬、使えなくなったらおしまい。

山に捨てられた猟犬は、生き延びる為に自分を縛った縄を噛み切る。

 

あとは野犬になって、生き延びる為の獲物を狩り、肉を食う。

主の為の狩りではなく、生き延びる為の狩りを覚える。

 

世の中には、可愛がられる為だけに生まれてくる愛玩犬がいる。

暑さも寒さも、飢えも知らずに、ただ可愛がられている。

 

媚びを売って生きているやつを羨んでも仕方ない。

 

最後の時間は、自分の為に生きよう。

長年群れ暮らしに慣れていたら、

単独行は、寂しいし不安だ。

でもいつか、孤独は自由に変わる。

 

主の為に吠えるんじゃなく、

自分の為に雄叫びをあげよう!