阿部日顕氏が法主に登座した記念に出版された『日蓮大聖人正伝』という本を、昔もらって読んだ。当時女子部だったのだが、本の内容は、創価学会の出版物等で知っていることが普通に書いてあったが、
「さすが法主の書く本だ。」
とは思えず、
「宗門が信者に教えるのは、この程度のことだ。」
1度読んでしまい込んだ。
その後、創価学会と日蓮正宗の破門vs魂の独立の罵り合いに呆れて、日顕氏の本を持っているのも気分が悪いのでゴミに出した。
日顕氏が登座して、一応創価学会と和合していた頃に、正月の聖教新聞(だか聖教グラフ)に、いかにも「これを額に入れて飾れ」とばかりに、池田名誉会長と日顕氏の額縁サイズのカラー写真が印刷されていた。
(我が家では、池田氏の写真を飾っていたことはあったが、日顕氏の写真を飾っていた記憶は無い。他の家でも、日顕氏の写真は飾っていなかった。)
日達氏の「不自惜身命」か何かの短冊は額に入っていた。大客殿が出来た頃の物かな?
今の創価学会員には信じられないだろうが、新年の聖教新聞に、日顕氏のかなり長い訓示だか、ご指南だかがうやうやしく載った時があった。
切り抜いて何度も読んでみたが、日顕氏が何を言いたいのか、全く理解できなかった。
聖教新聞に載った文章には、
「お前ら、どうせ読んでもわからないだろう!」
みたいな、日顕氏の末端信者を見下すようなものを感じた。
「辞書引いてまで日顕氏の文章を理解しなくても、創価学会には、教学の参考書は沢山あるし。よくもまあ、あそこまでわかりづらい文章を書くものだ。」
と、日顕氏の訓示だか、指南だかは、そのまましまい込まれて、破門された頃にゴミに出した。
振り返ってみると、日蓮正宗も創価学会も、敵を攻撃する文章と、自分の教団に箔をつける嘘話だけは山ほどあるけど、普通の学の無い庶民がほっこりするようなものって無いよね?
🍀🍀🍀🍀🍀🍀
私は日蓮界隈の信仰は卒業した。
世の中の普通の仏教徒が何を考えているのかとか、知りたいと思う。
夫の病気の関係で知り合った方が、とても私には真似ができない真剣さで、ご主人の病気のお世話をしている。
その方が、妻として、やれることをやり尽くした上で、お遍路もしているという。
お遍路と言っても、一度に八十八ヶ所回れ無いので、都合をつけて1日で1ヶ所、また1ヶ所と回っているらしい。
多分、信仰とはそういうものだろう。
「信心即生活」だの「願兼於業」等というのは教団が信者を操る為のまやかしだ。