末端信者は、授戒、勘誡、入会の時に払った3000円が本尊の購入費用だと思っていますが、
創価学会を退会する時に、
「御本尊は貸与したものだから返せ。」
と本部長に言われました。
私は、
「創価学会の日寛本尊は、
②【3000円の交換手数料】を払って、
③【強制的に交換】させられた物であり、
④当時【貸与】という文言を聞いていません。
⑤社会通念上は私が創価学会の本尊を【購入】したものと解釈されます。
なので返還の義務はありません。
⑥創価学会の日寛本尊返還を要求するのなら、
平成5年に交換させられた【日顕本尊と手数料3000円】を返してください。」
というと本部長は
「それならいいです。」
と引き下がりました。
日蓮正宗の本尊は【下付】という言葉を使いますが、これは辞書で調べると
「上の者が下の者に【与える】。」
となっています。当然信者は授戒、勘誡の時に払ったお金が本尊の対価だと解釈しますが、
ネットの法華講員の言葉を見ればわかるように
お貸し下げ=貸与です。けち臭い話です。
紙の本尊を家に入れたばかりに、心を支配され、延々と御供養を出し続ける奴隷になります。
辞める時に返した本尊がどうなるかというと、
私の両親が入信したばかりの頃の本尊は真っ黒にすすけていました。(昭和です)
当時の線香といえば青雲ですが、いくら煙の多い線香でも1~2年であんなに黒くはならないし、昭和52年に取り替えた特別御形木本尊は今でも白いですから、入信当時の形木本尊は誰かが寺に返した本尊を、私の親に下付したものと思います。
また、私の友人が偶然破門される前の日蓮正宗創価学会員でしたが、結婚前は寮生活で、結婚してからは、一人信心で線香は焚いていなかったけど、やはり本尊はすすけて黒かったです。
また、私が法華講に移籍したのが御影堂修理完成の頃ですが、下付=貸与されたのは日如本尊でしたが、私よりも数年遅く勘誡を受けた(とブログに書いている)人が、何と「日顕本尊を受けた」と書いているのです。
これは、死亡か?退転して?寺に誰かが返した日顕本尊を、その人に貸与したと考えられます。自宅にもともとあった日顕本尊を、勘誡の時に開眼してもらったのか?とも考えましたが、その人が創価学会のかなりの活動家広宣部なのに、自宅で日顕本尊を拝み続けていたとは考えられません。
誰かが返した本尊って、開眼した坊さんの法力よりも、拝んでいた信者の執念とか、怨念の方が強そうで怖いです。
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『日蓮正宗では、長年の功績が認められて、法主手書きの本尊を授与されて初めて本物の信徒と認められるようで、それまでは仮信徒だ』と「正宗系観察日記」に書いてありましたが、多分その通りです。
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創価学会で平成5年に始まった本尊交換には、多少地域差がありました。
私がいた地域(引っ越ししたので3つの地域)では、
「この地域に1軒たりとも日顕本尊を置くことは許しません!」
と初対面の地区婦が家に上がり込んで、仏壇の本尊をあらためていました。
私のきょうだいの住んでいる地域では、(日中働いていたので)夜家庭訪問に来ても家に入らなかったせいか?地域が緩かったのか?交換を強要されなかったそうです。
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本尊は信仰心を失うと、ただの紙ですが、
自分の親や、祖父母が長年必死に拝んでいたことを思うと、親や、祖父母の命がこもっているようで捨てられないでしょう。
その時に創価学会の幹部や、法華講の人が、何を言い、どう対処するかが、最後の折伏だと、役職のある方は自覚して欲しいです。