京仏師の方のホームページを暇な時に見るのだが、その方の彫られた仏像を見ていると心が安らぐ。
仏師の方は新しく彫刻するだけでなく、大昔の傷んだ仏像も修理している。お寺さんから預かってきた仏像(魂を抜いてある)を解体して、仏像の中に納めてある文書(願主や、制作した仏師の名前等の記録)を取り出し保存してから、何かの薬液?の大きな桶に仏像を浸けておき、汚れを落とす。汚れが落ちたら乾燥して、木地の傷んだ所(虫食い等)を取り除き、同じ素材で欠けた部分を補う。
土台を組む時に最初に取り出した文書を仏像の体内に再び戻す。土台ができたら漆塗りをして、金箔を施す。修理が終わると仏師さんも手を合わせてから、預かったお寺さんに届ける。お寺さんは戻ってきた仏像を安置して開眼入魂の儀式を行う。
文字にすると簡単だが、魂を抜いてから、再びお寺さんに戻るまで数年間の、長い作業だ。
魂が抜いてあると言っても、仏師さんは仏像を粗末に扱うことはない。信仰に似た畏れを抱きながら仏像を治療して、お寺さんにお返しする。位牌も同様に修理する。
さて、日蓮正宗の仏様は仏像ではなく板本尊である。
先日ブログに少し書いた通り、あちこちの日蓮正宗の寺院では寺の建て替えや、改修が行われている。建て替えのついでに板本尊の御荘厳直し(塗り替え)もする。塗り替えに出す前に魂抜き(閉眼)をするのだろう。抜いた魂はその間何処に居るのか?魂を抜いた僧侶の中に居るのか?仮に魂の居場所(形代)を用意するのか?
正本堂を建てる時にも、いわゆる戒壇板本尊の化粧直しをしたはずである。戒壇板本尊の魂を法主が抜いたり入れたりしたのだろう。
「万が一、日蓮大聖人直筆の本尊を入手した場合、そのまま拝んではいけない。お寺に預けて感得(魂入れ)をしてもらってから拝むように。」
などという尤もらしい話を聞いた。未発見の日蓮直筆曼荼羅など出て来ることも、入手することもほぼ有り得ないのに。
日蓮正宗の法主(僧侶)だけが、日蓮の魂を抜いたり、入れたりする法力があるというこけおどしだと思う。
正本堂の時の戒壇板本尊のお化粧直しの時には、台座を外してお化粧直しをしたのだろう。仕事をした仏師はベテランの人だろう。本尊と台座のジョイントの多分塗っていない木地の部分も見ているだろう。仏師の人なら板本尊の木の年代も見れば見当がついたのではないだろうか?
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創価学会が日蓮正宗の某寺院から、日寛本尊を入手して、会員に頒布する本尊を複製した時に、宗門は【複製偽本尊】批判をするのに、創価学会が元の本尊の何処を改竄したとか、かすれた部分を濃くしたとか、削除したとか、かなり細かい解説をしていたが、授与書きを削ると本尊が魔になるのなら、宗門は創価学会が寄進した寺院の板本尊の願主とかも、万が一にも消したりしてはいないだろう。
創価学会の日寛コピー本尊は文字の払いのかすれを濃くしたらしいが、日如法主の本尊はサインペン筆跡なので後世に創価学会みたいな日蓮カルトが現れても、日如本尊を採用することはないだろう。(日ペンの美子ちゃんに叱られるレベルだ。)💧
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2022.10.08付けの
気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ☆
『戒壇本尊が偽物である理由を列挙してみる。』
に、反論のしようが無い程、多方面から戒壇本尊が偽物である根拠が列挙してある。日蓮正宗や、創価学会で悩んでいる方に是非読んでもらいたい。
私個人の意見だが、
①戒壇本尊が偽物である場合、「大石寺にだけ日蓮の魂が入った特別な本尊がある」と主張して来たことが嘘なので、日蓮正宗は他の日蓮宗、法華宗に詫びなければいけないし、
②戒壇板本尊を日興が身延から持ち出したのが事実であれば、身延から本尊を盗んだことになる。大石寺は身延に「板本尊をお返ししましょうか?」とお詫びをして返還するべきだ。「地頭が謗法だと大聖人の魂がそこに住まない」のであれば、住職(法主)が謗法を犯せば大聖人の魂は、そこ(大石寺)に住まないだろう。
どちらにしてもアウトだ。
経巻一つでも間違えて持ち出せばすぐに返還するほど律儀な日興を、戒壇本尊泥棒にしてしまう大石寺は、本当に許し難い。
何百年も世間と信者を欺きながら、少しでも信者が疑問を抱くと「堕地獄だ!」とは宗教者とは言い難い。
昭和の時代、創価学会に折伏大行進で無理な布教をさせ、世間に迷惑をかけ供養を貪った。破門で切り捨てた信者がいまだに「正しいのは学会だ」「正しいのは宗門だ」と憎悪を剥きだしにしている。その苦しみを思わずに信者を増やせ供養を増やせというのは、宗門も創価学会も【他化自在天】だろう。どちらに付いても救いは無い。