言うのも恥ずかしいのですが、この数日頭が混乱しています。
なのですが、曼荼羅に上の方に「南無釈迦牟尼仏」があって、下の方に「八幡大菩薩」があります。
学会員の頃、本尊には虚空会の儀式が表されていると聞きましたが、
釈迦(本地)と八幡大菩薩(垂迹)が同座って、頭がバグって来ます。
また、大日天王と天照太神も多分同じだと思いますが、同じ本地と垂迹を一つの画面(曼荼羅)にダブって座配する意味がわかりません。
それと、「四箇の格言」で真言を否定しておきながら、曼荼羅の左右の梵字の不動と愛染をしれっと書いていたり、日蓮は本当は真言を否定批判する気はなくて、心の中では真言に心酔していたのに、鎌倉の人々の耳目を集める為に「四箇の格言」に真言も入れたのか?という気さえします。
私もそうでしたが、曼荼羅の左右の崩れた模様みたいなのを、梵字だと知っている学会員は多くないと思います。(法華講ではどのように説明するのかは、法華講歴が短かったのでわかりません。)
法華経法華経と、馬鹿の一つ覚えのように言いながら、信者の勤行では方便品と寿量品の一部しか読ませず、信仰の対象の本尊曼荼羅には真言の梵字が気付かれないように崩して書いてあり、梵字の表すところはヒンズー教の神様です。
結局日蓮は、不動と愛染と大日を曼荼羅に仕込んで、真言宗の信仰をさせたいのかと思ってしまいます。
日蓮が信仰していたのは、何だったのでしょうか?
私の不勉強で頭が悪くて恥ずかしいのですが、教えてくださるとありがたいです。🙇🙇🙇