自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

『題目板碑』について。(気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ☆)

2023.02.05の気楽さんのブログを参照してください。

 

大石寺26世日寛が戒壇本尊を書写した本尊を石に刻み、48世日量が開眼した】ものって、日蓮正宗的には【本物の御本尊】(信仰の対象)なんじゃないでしょうか?

(信者に下付される紙に形木で刷った掛け軸本尊よりも、石に彫った方が長くもちますし。)

石に【南無妙法蓮華経】だけを彫刻したのなら、どこにでもある石碑でしょうが、ブログにある写真を見ると創価学会で拝んでいた日寛本尊と同じものがそのまま彫られています。

信心していない不遜の輩が往来している公道に曝しておくのは、信心していないものには御本尊を拝ませない日蓮正宗の教義に反すると思います。

以前、学会から法華講に移籍した某ブログでは、

「妻が創価学会員だった時には謗法なので仏壇の内扉を閉めておいたが、妻が法華講員になったので内扉を開けておける」とか、書いていました。

家庭内ですら、謗法の者には拝ませないものを、どうして公道に雨風にさらしておけるのでしょうか?生身の日蓮を公道に立たせて雨風に曝しておけますか?

今の日蓮正宗の教義ならば、石碑の辺りをキチンと扉の付いたお堂にして、毎日僧侶なり、近所の法華講員が給仕読経しなければいけないと思います。

謗法の者には拝ませないとか、

写真を撮ってはいけないとか、

その時の都合でルールを変えるずるい宗派です。

750年とか歴史があるようなことを言っても、

日蓮正宗という名称にしたり、

創価学会が急激に数を増やしていく中で、体裁をこしらえて、

創価学会を破門して自分達だけを正当化するために、宗規を変え法主絶対主義で信者を支配する田舎寺ですよね?