自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

日蓮正宗的『骨葬』事情。

日蓮正宗の凋落の証拠だと思いますが、コロナ禍のせいかどうかはわからないけど、法華講員が亡くなっても「日蓮正宗的葬儀」を行わない例が、ままあるようです。

 

法華講員が亡くなった時に日蓮正宗的葬儀をしていない場合、焼骨にお経を上げる「骨葬」をするようにという話があるようです。

 

昨今コロナなので大勢の人を集めるのも憚られ、家族葬、密葬で親の葬儀をした人も少なくないでしょう。

それはそれで遺族が、

「他人に気を使わずに、家族だけでお爺ちゃん(お婆ちゃん)を送れてよかったね。」

と思えれば、それでいいのではないでしょうか?

 

また、現在の新参法華講員はほとんど創価学会からの移籍ですから、親は法華講に移りたかったけど子供はそうではないので、親が死んだら法華講との関わりを終了したかったのかも知れません。

 

あるいは遺族の中に居る創価学会員と揉めたくなかったので、無宗教で送りたかったかも知れません。

 

あるいは親が、先祖代代の宗教を捨てて日蓮正宗創価学会に入ってからの、トラブルばかりの数十年に嫌気がさして、遺族が元々の宗教の寺院で葬儀をしたのかも知れません。

 

日蓮正宗寺院でお経を上げないのは親不孝でしょうか?

それはあくまでも日蓮正宗の理屈です。

日蓮正宗でなくても法華経をよんでもらえますから、日蓮正宗の僧侶じゃなくても構わない訳です。

同じ法華経の経文をよんでもらうのに、日蓮正宗の僧侶のお経に功徳があり、他の宗教の僧侶のお経に功徳が無いというのはオカルトです。

 

今、全国的にお寺離れが進んでいます。

葬儀の時だけ、僧侶を派遣してもらう人も増えています。

 

日蓮正宗の葬儀をするには、遺族が法華講員を継承しなければいけません。仮に葬儀の時まで法華講員でいても、いずれ脱講、離檀すれば、その後の親の法要はできない訳です。

 

親の成仏を質に取って「骨葬」などさせても、遺族が法華講を継ぎたく無いなら、お寺に取っても意味が無いでしょう。

 

それよりは、

末寺や機関紙での創価学会批判をやめるとか、

宗門が信者に際限無い布教の強要をやめるとか、

常態化している特別御供養や、建物普請をやめるとか、

SNSでの893紛いの物言いで、日蓮正宗を批判する人を攻撃したり、

噴飯物のオカルト教義」を喧伝する末端法華講員をきちんと指導する事

が宗門がやるべき事です。

 

また『一期一会』と覚悟して、寺を訪れた人が、また訪れたくなるような法話を心掛けてください。

御講の住職御書講義と、創価学会の座談会での大白蓮華の通解棒読みと変わり無いのでは、プロの僧侶とは言えないでしょう。