日蓮正宗の偽書とか改ざんとか、私が日蓮正宗創価学会員だった頃は聞いた事がなかった。創価学会が日蓮正宗から破門されてから、教義の事や坊さんの素行の悪さ等、アレやコレやと言われ出したけど、創価学会も会員を離さない為に、宗門を攻撃しても戒壇本尊までは否定しなかった。
うちの親のような
「難しい教学はわからないけど、戒壇の御本尊様は絶対!」😆😆😆
って言う、ピュアで無学な下層労働者なんて、破門されても
「難しい事はわからなくていいんだ。御本尊様さえ疑わなければいいんだ!」😒
それが後年は、
「先生さえ疑わなければいいんだ!」😰
「学会さえ疑わなければいいんだ!」😰
と、頭をからっぽにして活動三昧の人生でした。信心なんてそんなもんです。
だけど、宗門の御僧侶さん達は、偽書の事を本当は知っていたんでしょう?ずるいと思う。😠(少なくとも、日亨上人は知っていた。)
どんな宗教の教義にも、「とうてい無理っス」って言うのがあるけど、それを信じるのは信者の自由なんだけど、他人様の宗教を批判して、改宗させるなら、世間に後ろ指を指されるようなインチキはダメだと思う。
日蓮正宗の御書に偽書があるって事や、戒壇本尊の事を日蓮宗他派が認めないって事は、大昔、信者を呼び込む為に偽書をこしらえ、戒壇本尊をこしらえた僧侶がいるって事で、悪意以外の何物でもない。
創価学会永遠の師匠が聖人君子ではなく、稀代の俗物だった事もそう。
自分が50年、親や祖父母を入れたら1世紀近く、宗門と学会の二人三脚に代々騙されちゃったイタい現実を、
「でも、あの人にもいいところがあったのよ。」
「騙そうとして騙したわけじゃないのよ。」
「ううん、他の人は騙されても、私の事だけは騙していないのよ!」
なんて、結婚詐欺に遭って、それを捜査している刑事さんに
「あなたも被害者ですよ。」
と教えてられても、
「嘘です。あの人は他の人を騙しても、私だけには真心をくれたのです!」
と言い張る結婚詐欺の被害者と同じなんです。
周りの人は、初めは同情してくれても、いつかは同情するのもアホらしくなってしまう。
「私だけは騙されていない。」
心の中で思うのは自由だけど、布教とか信仰の相続なんてしたら後世に禍根遺恨を残すことになります。
😃😃😃😃😃
「宗門と学会と、どっちが正しいの?」
って、判断を迫られて、
「学会が正しい!」
「宗門が正しい!」
と、家族、一族分断して悲惨で孤独な人生を送った旧日蓮正宗創価学会の皆さん、どちらも不正解でした。
あの時、日蓮正宗・創価学会界隈を去るのが正解だったと思います。🙇🙇🙇