自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

52年の疑惑

昭和52年に、我が家は御本尊を取り替えた。

まだ日蓮正宗創価学会だった。

小さい形木本尊から、大きな特別形木本尊に取り替えた。

 

昭和54年に日達法主は亡くなる。

日顕法主の登座で揉め事があった。

創価学会日顕法主を支持した。

日顕法主の登座に文句を付けた人達が宗門を追放された。

創価学会が支持したからこその、日顕法主の地位が安定したはずなのに、

宗門と創価学会の間も複雑だった。

大石寺登山の参拝料金の値上げが引き金を引いたのか?

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一つの末寺しか知らないで、日蓮正宗を語れないならば、

日蓮正宗は【菩提寺を替えたら五逆罪】などといわず、

「気が済むまで幾つでも寺を巡ってから所属寺院を決めるべし」

と通達するべきである。

現行、信者は所属寺院に囲い込まれている。

入信=法華講○○寺支部の入講である。

ここまでえげつなく信者獲得の尻叩きをすれば、末寺は信者を手放さない。

他にまともな末寺があると思っても、後の祭りである。

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ここには書けないことがあるが、親が日蓮正宗創価学会になど縁しなければ、貧乏でも人間らしい人生もあっただろう。