自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

勤行が洗脳でした。

もう、私の手元には経本一つありません。(創価学会のも、日蓮正宗のも捨てました。)

大昔ですが、創価学会員の時に、人材グループで

「御観念文くらい、全部暗記しなさい。」

と、指導された事があります。

まだ創価学会が破門される前の、大石寺版の経本を使っていた頃です。暗記しました。考えてみると、法華経の本文(方便品とか、寿量品)は、日蓮正宗のオリジナルではありませんから、テレビドラマや、有名人のお葬式等でもBGMのように聞こえてきて、

「あら、よその宗派でも、同じお経を読むんだ!」

と、思った事があります。じゃあ何故【大石寺版】や【創価学会版】の経本があるのか?【肝】になるのは法華経の本文ではなく、【御観念文】にあります。漢文を音読しても、凡夫の頭には外国の音楽のように聞こえています。【御観念文】は漢字が多いですが日本語ですから理解できます。

・諸天に感謝

・本尊に感謝

・宗祖日蓮に感謝

・日興以下、歴代に感謝・・・

(以下、忘れました。💦)

特に、日蓮正宗の場合歴代に感謝させることは、現在の法主に対する感謝・随従を補強します。

声に出さずに黙読して観念することは、多分静かに深く脳(というか、意識の深い奥に)に刻まれていくのです。

それを知っているから、創価学会は勤行の改変の初期に御観念文を祈念文に変え、【三代会長への感謝】を入れました。初代・二代会長は故人ですから、会員が感謝供養するのは、理解できますが、存命中の三代会長(池田氏)に《死身弘法に感謝》ってどうよ?って思いました。(正しい文章は忘れました。💦)

組織の幹部が、必死で、

①改変された祈念文のコピーを持ってきて、「御観念文の上から張替えろ」といい、

②その後、わざわざ新しく印刷した創価学会版の経本を持って来た程、【祈念文】が会員の洗脳にとって重要だったと思います。

「毎日の勤行で池田先生の健康と御長寿を祈れ」という指導もありました。(後に先生奥様に変わりました。)

日蓮正宗の御観念文も、創価学会の祈念文も、一番最後に

世界中の人の幸福や成仏を祈っているような文章(詳しいこと忘れた)を、とってつけたように書いてあるけど、ネットの法華講員と創価学会員と顕正会員の汚い罵り合いを見たら、法華講員は

「・・・ただし創価学会顕正会は除く」

とか、創価学会員は

「・・・ただし法華講員は除く」

とか、

みみっちい、意地悪なお祈り🙏で締めくくっているんだから、広宣流布は未来永劫できないですよね?

私ですか?

もうどっちの勤行も頭から消えました。😅😅😅