自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

法華講には夢(展望)が無かった。

昭和の日蓮正宗創価学会の時に発展したのは、

・敗戦後の荒廃した国土、

・疲弊絶望した庶民、

・右肩上がりの復興による功徳・利益の錯覚、

・嘘の功徳体験談(聖教新聞等の媒体、末端の座談会)、

・徹底した情報統制(一般の新聞や週刊誌を見たら罰があたる等)、

・『罰論』で徹底的に恐怖を植付けた、

・脱会者への徹底的な嫌がらせを末端会員にやらせる(残っている会員への見せしめと共犯者にする)、

・2世への信仰の強制、

等、会員を恐怖で縛りつける一方で、『世界広布』という夢を見させたことです。

日蓮の教えを元に仏国土を作る。

・自分達の活動が世界を平和にする。

それを形にして見せたのが正本堂です。建物のことだけでなく、落慶法要に喜々として世界中から集まった信者達。

あの正本堂落慶法要こそが、本当の『広宣流布の模擬試験』だと思いました。(お椀と箸を持って豚汁を食いに行くのが広宣流布とは思えない。)私は池田氏を宗教家とは思いませんが、当時の総理大臣が来なかったことを恨みながら、戸田会長を車駕に載せて、大石寺で豚を屠殺して豚汁を作って皆で食った等という、梁山泊の山賊みたいなことを『広宣流布の模擬試験』と言っていた時から、わずか十数年で白亜の正本堂落慶に漕ぎ着けた池田会長の金融屋の手腕と、ハッタリと人垂らしには驚きます。(千年だか1万年の後にまで遺ると言っていた正本堂をわずか二十数年で壊した日顕氏にも驚きましたが。)

あの当時、法華講からわざわざ創価学会に移って来る信者さんがいました。(それだけ法華講よりも創価学会に活気があったからです。)

今は法華講の人のSNSの自己紹介に「謗法の創価学会(顕正会)から法華講に移ったので、与同せずに済みました。」等という、自慢だか自虐だかわからないことが書いてありますが、法華講のプライドって、

「私は本家の末端信者だから、邪教創価学会員(顕正会員)じゃないから、謗法じゃないから。」

って、誰に言い訳しているの?って感じです。

お寺に移って、お寺では広宣流布の夢(展望)を見させてくれますか?毎年毎月折伏折伏と言われるだけですよね?機関紙には猊下の檄ばかり、お寺では住職さんの愚痴ばかり。破門前に移籍した先輩講員は新参者をしつけのふりしていじめる。書類上は〇千人超えてるけど、お寺に来るのは数十人。所属寺院の中の広宣流布も不可能です。

運動部の練習でも「グラウンド10周」とか、ゴールが決まった練習ならばさほど苦痛ではないけど、10周終わったら「もう10周やって」と言われて、それも終わって次は何をするか聞いても「もう10周やって」が永遠に続いたら皆倒れてしまいます。

育成するノウハウも無いのに、学会活動に疲弊した学会員を取り込むのはやめませんか?脱会でつらい思いして、お寺で挫折して、短い間に二度も挫折するのは本当にしんどいです。信者を増やしたいなら創価学会とか顕正会とかの謗法の垢のついていない、無垢な人を折伏してください。

・・・っていうか、日蓮にも題目にも縁しなくて幸福に暮らしている人に、無駄に折伏布教するのは迷惑の押し売りだと思うのです。よく言うでしょう?

「さわらぬ〇〇に祟り無し。」