介護をするということは、こういうことだと思い出した。
認知症の姑の介護の時は、トイレに入ることもままならなかった。
それに比べれば、まだ夫の介護は楽だとは言えるが、命にかかわることがこの半年でも何度もあったし、他科との連携等はこちらから主治医に依頼しなければ話が進まず、気を抜けない。
半生を振り返れば、ワンオペ育児の頃も、細切れでしか寝ることができず、いつもヨレヨレだった。
あの当時は、育児プラス学会活動だった。
もちろん赤ちゃん連れ。
よく泣き、よく吐き、着替えとおむつを持って会合に行った。
情けないのが生理の時の小単位。
「生理痛がひどいので、会合を休みたい。」
と言っても許されず、引っ張り出された。
病気の為に出血がひどく、夜用ナプキンでも15分で漏れた。
仕方なくトイレを借りてナプキンを交換すると、婦人部会合をやる家にはトイレに汚物入れが無く、替えたナプキンを丸めて服のポケットに入れて会合をやっている仏間に戻ったが、気が気ではなかった。
耳タコの「日顕宗の悪口」と、「選挙の打ちだし」とかを聞きながら、頭痛と腹痛と「漏れ」の恐怖と闘いながら自分がそこに座っていなければいけない意味がわからなかった。
今、夫が体調を崩せば、一週間、二週間があっという間に吹っ飛ぶ生活になって、無駄な学会活動に自分の時間を奪われた数十年の年月が、もったいないとしか言えない。
今、自分の進退に迷っている人は、自分の人生は自分のもので、誰かに指図されるものではないと、後悔のない生き方をしてほしい。