法華講のブログでよく見るのが、祖道の快復とか、御僧侶主導の折伏とか、どんだけお坊さんに忖度しているのか?っていう言葉。😵😵😵
折伏しているのは下っ端講員なんだから、お坊さんに労ってもらいたいでしょう?
『詮ずるところは天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん。』(開目抄)っていう御書は、創価学会(正確には日蓮正宗創価学会)で少年部の時から暗記させられた。(本当はもっと長い文章のコピーが経机に置いてあって、勤行の度に読まされ、会合でも暗唱させられた。)
「信心故につらいことがあっても、危険な目にあっても、それは覚悟の上の信心だから臆病になるな!」
っていうことでしょう?
宗祖日蓮は布教の為に、多分わざわざ相手が怒るようなことを言っては、草庵を襲われたり、刀で切り付けられたりしたのでしょう?
「現世が安穏じゃなくても、天が守ってくれなくても嘆いちゃいけないよ!」
ってんでしょう?
下っ端法華講員だって、この御時世だから、会社が倒産したり苦労しながら御供養を持ってお寺に行って、折伏もしている。
しかも、宗門は育成が簡単で、罰で脅せば真面目に励んでしまう創価学会員を引っこ抜きたい。・・・できれば創価学会と事を構える事無く、穏便に穏便に極めて穏便に[創価学会員兼法華講員]でもOK😄😄😄
で、「創価学会は悪です。」👴って脅かしながら、
「わかりました。創価学会とはきれいさっぱり縁を切って来ます。」👩
と言うと、
「そんなことはしなくていいです。💢
あなたが退会するなんて言ったら、学会員がお寺に殴り込んで来るんだから。困るんです。
退会なんてしないで
黙ってお寺に通えばいいんですよ!」👴
っていう。😨😨😨
「えっ、だって、大謗法の創価学会に居るだけで罪障を積むのに、創価学会員のままでお寺の人になれって、それじゃあ穴の開いたバケツで水を汲むように、お寺で功徳を積んでも無駄になるのではないですか?」
「気にしなければいいんです。」👴
はあぁぁぁ。
罪とか罰とか功徳とか堕地獄とか成仏とか、単なる営業コンテンツですかあ?
お寺が正しいとか、学会が正しいとか、家族や親戚が罵りあっている下っ端信者の安穏よりも、お坊さんの安穏の方が優先ですかあ?
宗祖は嘆いているんじゃないですか?