私が創価学会を辞めると言って十数年、法華講に入ると言って、両親や兄弟から縁を切られていた期間がだいたい10年以上になるでしょうか?
バリバリ学会員の私の家族達は、邪教日顕宗と関わったら地獄に堕ちると思っていたし、一度、私を説得に来ましたが、お互いに学会批判、宗門批判して、物別れに終わって、その後音信不通になりました。
あれから世間でも、異常気象や地震災害や、コロナまで大変な事が続きました。
以前なら、災害の時には
「大丈夫ですか?何かして欲しい事はある?お手伝いしょうか?」
って、電話をかけたり、行ったり来たりしたのに、こちらから連絡しても全く反応無し。年賀状すら来なくなりました。
お互いに謗法と関わったら自分の信じる御本尊から罰を受けると信じていましたから。
お互いに自分の信仰が本物、自分の御本尊が本物と意地を張っていました。
両親は日達上人の御本尊
兄弟は日顕上人の御本尊
私は日如上人の御本尊
両親は役職が有るのに、御本尊の取り替えの時に学会の本尊に取り替えるのを拒否しました。
「なんか、チャチイんだよ。今度の学会の御本尊は。」
とか言っていたのに、他人には「日顕本尊は取り替えなさい」と言っていました。
私は日如上人の御本尊に「両親と一緒に大石寺に行けるようになりますように。」
と祈っていました。
あるとき、両親の御本尊、兄弟の御本尊、私の御本尊の向こうに日蓮は居るのだろうか?と思いました。
数百年間、年がら年中分派を繰り返している日蓮の末流を名乗る人達に、もし日蓮が居たらあきれているだろうと思いました。
正義だとか、邪義だとか、宣言しているのは教団で、日蓮正宗も創価学会も鎌倉時代には無かったですから。
信じている時には御本尊からスペシウム光線でも出ているような気持ちでしたが、醒めてみると紙でした。
この紙の為に、両親は何十年苦労して来た。
そして家族がばらばらになった。
コロナで明日も分からないのだ。この紙の為に意地を張るのはやめよう。残り少ない両親の時間を大切にしようと思ったら、実家に電話をかけていました。(私が法華講になってからも、こちらからはたびたび電話をかけていましたが、親は在宅なのに留守番電話にして出てくれませんでした。)
向こうも学会活動の虚しさに気づいた時期で、10年ぶりに電話に出てくれました。
想像以上に親は歳を取っていました。
なんて虚しい年月だったでしょう。
今でも、私は法華講に籍があります。親は創価学会に籍があります。でももうくたびれてしまいました。信仰心は枯渇しました。