自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

『極楽浄土に女性はいない。』

『極楽浄土に女性はいない。』

(気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ☆、20243.16)を読んで

 

 

「優れてめでたき方便品と寿量品だけ読んでいればいいから、余計なものは読まないで。」

って、日蓮正宗創価学会が言うのを真に受けて、勤行要典以外の法華経なんて読んだこと無かったわあ。

 

即身成仏も、

女人成仏も、

一生成仏も、

 

私達、うまいこと言われて、その気にさせられていたけど、修行して徳を積んでも、極楽浄土に行くには、男の人のアレを生やして、男にならないと行けないんですって。

 

奥さん、どう思います?

 

男女の別は無いはずなのに、わざわざアレを生やさないと極楽浄土へ行けないなんて。

 

双六で「上がり!」と思ったら、一回休んで、もう一周初めからやり直しって話ですよ!

 

これはさ、三千世界で一番徳のある女性でも、極悪人の男性に劣るってことですよ!

 

情けないわあ。

女性差別だわあ。

 

うちの母親に教えてあげたいわあ。

 

創価学会の皆さんにも、法華講の皆さんにも、教えてあげたいわあ。

 

 

「極楽浄土に女性はいない。」ではなく

「極楽浄土には、男性も女性もいない。性を超越した清浄な人間が居るだけである。」

なら、まだ納得が行くんだけど。

どこまでも女は不浄で、男よりも劣ったものだというのが法華経の教えならば、法華経は要らない。

子供の頃から教えられてきた『龍女の即身成仏』の話には、すっかり騙されたわあ。

 

法華経は看板倒れですわあ。

 

騙された私が愚かだったって。

 

『嘘も方便』ですものね。

 

南無妙法蓮華経が美味しいのは、坊主と教団職員だけです。

『南無妙法蓮華経』は、もはや商売道具です。

『本尊掛け軸』も、宗教餓鬼の商売道具です。

 

南無妙法蓮華経を唱えても、悩みも解決しないし、成仏もしません。その証拠に教団信仰(日蓮正宗創価学会)をして人格や生活が向上する人は、ほぼ居ません。

(一部の例外は、給料を貰っている教団職員、僧侶、教団から仕事を貰っている業者、創価学会では芸術部員等は、仕事を貰える【現世利益】があります。それ以外の末端信者はお金と労働力を搾取されるだけです。)

 

現世の生活が向上しないのに、信者に金銭を要求して、来世の幸福や成仏を口にする教団職員とは怖いもの知らずです。

 

心を平穏にするために釈迦の教え、日蓮の教えを知りたければ、一人で聖典や遺文を読んで思索すればいいです。

 

 

 

何でこんなことを書くかというと、本当に本尊や教団を信じて、どこまでも不幸になってもまだ、教団に縋り付いている高齢の人をネットで見るからです。

まるで自分の親を見るようです。苦しいです。

 

一般的に創価学会から日蓮正宗に移籍した人は、

「大御本尊がある日蓮正宗に移籍したのだから」

という意地とプライドが盲信を生んでいます。

「本家」というプライドだけで、教学知識は創価学会で習った一行、二行の「切り取り御書」と「猊下にしかわからない秘密の相伝」とか言う、ごまかしこじつけ。

 

そろそろ生きている現実を見てほしいです。

 

あなたの生活を支えている日本の社会、

様々な産業の人々、

社会福祉窓口の人、

介護福祉サービスを支えている人々、

感謝すべき人々は無数にいます。

 

地獄とか罰で脅す人(教団関係者)は、あなたの味方ではないのです。

 

所属寺院の住職にも、法華講の先輩にも冷たくあしらわれて卑屈になっているお婆さん。

何でそんなに必死にしがみついているのかなあ?

あの人達は、あなたを卑屈にさせているだけです。

自分で自分を追い詰めないで。

 

と、とあるブログの法華講のあの人に言ってあげたい。

(もちろん創価学会のお婆さんにも言ってあげたい。)

宗教2世が親を批判することを恥じる必要は無い。

 

「いい歳をした宗教2世が親を謗るのはみっともない。」

とか言う意見があるが、私はそうは思わない。

 

特に50歳代以上の2世や、3世は、今のようなマイルドな創価学会ではなく、邪宗、堕地獄、反逆者等の恐怖で洗脳され、人材グループで軍隊式の調教をされ、親孝行という日本人なら反抗しがたい言葉で、人生のほとんどを教団に隷属させられ搾取されてきた。

渾然一体、「教団の最先端の洗脳教育係が両親だった」という悲劇を、恨んでも悲しんでも、とにかく教団の奴隷を辞めて一人の人間になるという、人生最大の戦いの最中なのだ。

 

親にだけは批判の矛先を向けずに、教団だけを批判できればそれも上等だが、そんな余裕は無い。

 

それでも、ブログやXツイッター創価親のことを批判しても、大概の人は老いて、もがいている老親に、宗教以外のことではそれなりに譲歩して、生活援助もしている。

 

好き好んで親孝行をしているわけでは無いが、自分を長年苦しめた親を捨てることもできず、せめてネットの中で、過去や現在の自分の辛さを吐き出して何が悪いのだろう?

 

ネットで毒を吐く事で、現実の親に少しでも優しくできるなら、創価学会日蓮正宗)にたぶらかされた親がやらかした事に恨み言を言っても許されると思う。

 

一番よくないのは、自分の本心を吐露する場所が一つも無いことだと思う。

 

公明党が与党でいるうちは、「創価学会被害者」なんていう存在を認められる訳は無いので、公的な支援(精神的ケア)など得られない。宗教2世の自助的なサークルや、大学の精神・心理・宗教・福祉等のワークショップに参加できる人は限られている。

だとすると、スマホに呟いてみて、自分と同じ人が沢山居ることに気づくだけでも、カウンセリングや、ワークショップのような効果がある。

 

「愚痴は福運を消す。」

って脅されて、何十年も「ニコニコ仮面」を演じてきたんだから、ネットでくらい「ニコニコ仮面」を脱いで毒を吐いてデトックスしても良いはずだと、無名のお婆さんは思うのだ。

本当は「愚痴は福運を消す」んじゃなくて、

「愚痴は教団信仰への疑問と不満を共感連帯させる」から、教団は信者の口を塞ぐのだ。

誰かと日程を合わせなくても、一人がスマホに呟けばそれが「覚醒無限座談会」だ。

 

 

 

まあ、夫の看護介護が日常になり、私も自分の老後と向かい合う事になって、いつまで創価学会日蓮正宗)について呟いている余裕はなくなってきたが、かれこれ10年程あちこちで毒を吐いてきて、私の中に溜まっていた毒も消化されてきた。

 

更新が減り、ブログに創価学会日蓮正宗)の話題が減り、いつの日か、このブログが過去になったらよいなと思う。正直言って、昨年【あの人の死亡が公表された事】で私の中の創価学会の毒はかなり薄まった。

 

 

 

山田さんへ

 

ご心配いただきありがとうございます。🙇

 

何とか、退院できて、リハビリの毎日です。

(すっかり筋肉が弱りました。喉の筋肉も衰えると、すぐに誤嚥肺炎になります。ご飯の時にむせることが多いです。今は、食べさせることに結構、気を使っています。)

 

山田さんの奥様も脳梗塞で大変だったのですね?

寒い時期は、血管系の病気、発作が起きますよね?

 

奥様は大事にならなくてよかったですね。

しばらくは不自由さがあると思いますが、リハビリのつもりでどんどん話していくと、詰まった部分の代わりを他の部分が補ってくれます。

 

あとは、暇な時に、手を握る、指先をマッサージしてあげるといいと思います。手を握るとオキシトシンという幸せホルモンが出るそうです。脳も活性化するそうです。

うちでは、背中や手足に保湿クリームを塗ってマッサージして、サービスにお手々もにぎにぎしてあげます。

山田さんも照れないで、奥様の手にクリームを塗ってあげるふりをして、お手々にぎにぎしてくださいね。😄😄😄

 

山田さんご自身も病がおありなので、無理をしないでくださいね。

買い物サービスでも、配食サービスでも、利用できるものは利用して、疲れをためないようにしてくださいね。😄

 

我が家は今回、思ったよりも子供が活躍してくれましたが、長い目で見ると介護サービスを利用して、負担を減らしたいです。

 

暖冬ですが、まだまだ油断できないです。

山田さんも、奥様も暖かくしてお過ごしくださいませ。🙇

 

お題目を送るわよ=社交辞令です😠

先日スーパーで、おばさん(おばあさん)数人が深刻に話し込んでいました。

(通路の真ん中で迷惑だわ。どっちかに寄らんかい?)

と思いながら横を通ると、一人のおばさんが、

「お題目を送るわよ!。」

と言い、肩を叩いて話は終わりました。

(やっぱり創価学会のおばさんだわ。)😔

 

「お題目を送るわよ!」

って、創価学会の慣用句ですけど、自分の願いも叶わないのに、他人の悩みを解決したり、癒せると本気で思っているのかと疑問でした。

 

学会員総掛かりで30年もの間『日顕宗撲滅』『日顕撲滅』を呪詛したのに、日蓮正宗は消滅していないし、日顕氏は天寿を全うして、

創価学会員の祈りは叶わない。」😥😥😥

と気がついたはずなのに。

 

「お題目を送るわよ。」

と言った、多分末端役職のおばさんは、自分や家族の金欠や病気の為には祈祷師の如く題目を唱えて、

『題目を送るわよ。』

と約束したおばさんのことは、最後の題目三唱の時に、

「あら、忘れてた。」

くらいに思い出すか?思い出しもしないでしょう。

 

「題目を送られる方のおばさん」も、愚痴を吐いて、気休めを言われて、あきらめるのが習い性になっているから、悩みが改善しなくても、恨みも怒りもしない。

 

本当の悩みなら、学会のおばさんに愚痴を吐くよりは、役所の福祉窓口に相談に行った方がよろしい。

リインカーネーション

一流ホテルで行われた

 

故池田名誉会長のお別れの会の祭壇には、

 

末端会員の葬儀の時に置かれるという、

 

『故人に徳を積ませる為』の

 

聖教新聞の購読申し込み書とか、

 

置いてなかったのだろうか?😔

 

 

案内状が送られて、集まった人が2600人とは、

 

いつか、原田さんが、

 

「新年の挨拶に信濃町に来た取り引き企業の関係者が2000人」

 

というのを考えると、

 

池田利権、創価学会利権で飯を食った人(会社)の数だろう。

 

決して、宗教家とか、思想家としての評価ではなく、あくまでもビジネスのつながり。

 

池田氏の訃報以来、一連の報道の中で、池田氏の評価として【フィクサー】というのが1番当たっていると思う。

 

功成り名遂げて宗教家の振りをしても、

 

言っていることは、

 

「勉強しろよ!」

 

「歯を磨けよ!」

 

「親の言うことを聞けよ!」

 

という、ドリフターズのせりふと変わらなかった。

 

会員の尻を叩くことは、

 

ナニワ金融道』ばりのえげつなさ。

 

 

 

これからは、末端会員の仏壇でも葬儀でも、

 

「色花なんて邪宗だ!」

 

とか言って、シキミ一色を押し付けないで、

 

菊でも、カーネーションでも、ひまわりでも、

 

故人の好きだった花を飾れるということだろうか?

 

素人の怨念のこもった読経唱題ではなく、

 

故人や遺族の好きなクラシック等を流して、

 

棺に美しい花をいっぱいにして、

 

さようならを言える葬儀でいいってことですよね?

 

 

 

一流ホテルでの『さようなら』は、生暖かかったですか?

 

 

 

ところで、池田氏の信仰していた宗教は何ですか?

 

 

主人であるか奴隷になるか。

信仰が人の助けになるべきで、人が信仰の奴隷になってはいけない。

 

その点で私は創価学会日蓮正宗は他人には奨められない。

 

人が生きていく上で何かすがるものが必要ならば、私はそれを否定しない。

そのすがるものは、お釈迦様の像でも、阿弥陀仏の像でも、神社のご神体でも、十字架でも、コーランでも、親しかった人の形見でも、それはその人の心を支える価値があるならば同位だと思う。決して十界曼荼羅が上で、釈迦像が下とか、聖書が上でコーランが下ではない。

ある人が自分の信仰を尊重して欲しければ、他人の信仰を尊重するのが基本だと思う。(普段の人間関係だって、自分を馬鹿にする人を尊敬することはできない。)

その点から言うと、昭和に日蓮正宗創価学会がやった、他人様の家の他宗の仏壇や位牌、神棚を壊して改宗を迫った行為は許されるものでは無い。また「お茶を飲みましょう。」と誘っておいて、一人を多数で囲んで宗教の勧誘をするのは禁じ手だ。

残念なことに日蓮正宗創価学会も過去の蛮行を認めないし、現在もやっている、一人を多数で囲んで入信を強要するのも、個人が勝手にやったこととされて教団は認めない。

私としては、いくら愛想が良くても、宗教を勧誘する人からは逃げなさいとしか言えない。

 

人が個人で、家の中で拝むものなら、それが猿の手だろうが、かっぱのミイラだろうが自由だと思う。

教科書にあった『最後の一葉』とか『一切れのパン』だって、ある意味信仰だと思う。

 

しかし、他人様の信仰の対象を取り替え、組織活動や献金等を要求するのなら、その宗教の教義や教団のあり方は他者からの批判に耐えうるものでなくてはいけない。

 

他の宗教よりも優れているという理由は何か?

その宗教の文献や聖なる遺物は本物か?

教義に嘘や脅しは無いか?

辞める自由は有るのか?

信者は幸福か?

信者の家族や知人は迷惑していないか?

非常識な献金を要求していないか?

非常識な奉仕(布教等)を要求していないか?

教団職員の生活は清貧と言えるか?(最も貧しい信者に対しても、清貧だと言えるか?)

財務会計を明らかにしているか?

 

すくなくとも、布教活動をする教団なら、これくらいは明確にして欲しい。