自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

良薬は口に苦し。

時折、『気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ☆』に対する批判を目にするので、書いておきます。

 

私は創価学会を辞めて、法華講に移って数年間、末席で日蓮正宗の信仰に励んでいました。

でも真剣にやればやるほど虚しさに襲われていました。

親兄弟や古くからの創価学会の知人友人を敵に回してまでやる価値が無いと気がついた時に、ネットで『気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ☆』に出会いました。読んでみて、ショックでした。

創価学会に絶望したからといって、(白か黒かの論理で)

創価学会が間違いなら、日蓮正宗が正しかったのだろう

法華講に移ったのはなんと思慮が浅い愚かなことか!」

と後悔しました。気楽さんのブログに書いてある教学の知識を、10か、20の記事でも自分が知っていたら、法華講に移って時間とお金を無駄にしないで済んだのにとしばらく落ち込みました。

1つの記事を読む度に、グサグサ刺さって、自分の愚かさが痛いんだけど、読まずには居られない。目を背けたら後悔すると思いました。(私の選択が夫や子供の生活や人生に影響しますから。)

気楽さんのブログを読んでいく内に、私が法華講に移ってから感じていた違和感の正体に気がつきました。

それは日蓮正宗の主張に裏付けが無い事です。他の宗派が日蓮正宗を認めないのは嫉妬ではなく、日蓮正宗が偽の文書や、後世に作った板本尊を日蓮作と詐称し、御肉牙等といういかがわしい物まで偽造しています。

自宗の胡散臭さを省みず、他のあらゆる宗教宗派を攻撃する教団です。

 

しかもスーツで有髪の素人がやっている創価学会と違い、坊さんと寺というのは、創価学会以上に心理的に信者を束縛支配するのです。

 

私は経験から創価学会日蓮正宗も同じくらい、近づいてはいけない宗教団体だと思いましたが、悲しいことに教義教学に疎かったです。その教学的無知を補完してくれたのが『気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ☆』です。

 

気楽さんは、特に日蓮遺文の嘘、偽書には容赦ないです。日蓮は在世中に『日蓮説法全集』等残していませんから、日蓮の説いたことを知ろうとすれば遺文に求めるしかありません。その中に後代の人が嘘を混ぜ込み、信者を騙すのは許せない事です。わざわざ日蓮の名を騙り信者を支配して、都合よく教団に奉仕させる為の偽書は駆逐されるべきです。

 

詩人のポエムなら嘘が心地好いのも許せますが、一人の人間だけでなく、その家族、一族、布教される他人の人生を支配して歪めてしまう宗祖の遺文に偽書が許される余地はありません。

 

他人に向かってネットで発信する以上は誰かに嫌われることは覚悟して発信しなければなりません。

2016年からブログを続けている気楽さんに感謝しています。

 

読んで、心がざわつく、寝込むほどならば、ブログを見るのをやめるのも一方です。

心がザクザク血を流しても読むことで学びがあり、救われるのなら、読む価値がある。

それは読み手の選択であり、自己防衛ですから誰も批判しません。自分の端末のスイッチを切るか、嫌なブログの履歴を消せば良いことです。

書き手が全ての読者の要求に応えるのは無理です。

毒親に絶望した。

年末年始、毒親に介入されて絶望した。

もしかすると、私よりも毒親の方が長生きするかも知れない。

 

毒親と話をした後は、過去に虐待された場面がフラッシュバックしてパニックになる。60歳過ぎた子供を支配しようとする毒親に絶望して、ブログを書く気力も失せた。

投げやりにならずに済んだのは、病気の夫の世話を焼くという主婦としてのつとめのおかげだ。

 

去年、池田名誉会長の死が公表されて、少し心が楽になったのだが、ラスボスは私の毒親だった。

なんでも自分の都合良く脳内変換する創価学会毒親。いつまでも子供を支配しようとする毒親

もう私を支配しないで欲しい。

 

毒親が余計なことを言わなければ、私も普通の親子の振りはしてあげられる。毒親をかわいそうとも思ってあげられる。

でも毒親は、のうのうと超えてはいけない境界線を超えて来る。

毒親が自分のしたことを本当に忘れているのなら、それでいい。勝手に妄想の中に居ればいい。

育児放棄をし、虐待をし、進学・就職・結婚あらゆる事を妨害して、私が血の滲むような努力で達成したものを奪って、奈落の底に突き落としてきた毒親

 

私が必死に守っている生活を壊さないで欲しい!私を支配しようとしないで!

今日を大切に過ごしたい。

元日の能登地震に、正月気分が吹き飛びました。

 

晦日まで忙しなく働いて迎えた正月がこんなことになるなんて、一寸先は闇です。神仏が居るならば、なんでこんな時に地震を起こすのでしょうか?

 

私達日本人は、『欲しがりません勝つまでは。』がDNAに刷り込まれているようです。耐える事が美徳とされ楽しみを先に延ばして、苦役に耐えてしまいがちですが、自分や家族の寿命の残りもわからないし、世間が平穏無事である保障もありません。

 

ならば毎日の生活の中に、自分や家族をいたわり、楽しい時間を過ごすことを大切にしたいですよね?

刹那的な楽しみを求めるというと批判されますが、少し先の将来を見つめ、備えつつも、今日の中に少しのほっこりを持つ、楽しい時間を持つ。

健康であっても自分に明日や来年が有るかわからないのですから。

 

元日の大地震でお亡くなりになった方、負傷された方、救助を待っていらっしゃる方、お家をなくされた方、皆さんの魂が孤独でないことを祈ります。

そして命懸けで救助と復旧作業に取り組んでくださる、自治体、自衛隊、消防、警察、医療関係者の皆さん、感謝です。

 

ブログをアップするのをためらっていたら、羽田空港の飛行機接触炎上事故です。海保の飛行機は能登地震の被災地を往復して、物資を輸送していたそうです。亡くなられた乗組員やご遺族、重傷の機長、そのご家族のことを思うと胸が痛いです。

本当に日本の安全神話は終わったと感じます。まさに諸天善神は日本から去ったのでしょう。票の為にカルトを蔓延らせる政権や、その政権を支持して日本を貧しく情けない国にしたのは、選挙活動=信仰な創価学会員や、創価学会員に頼まれて、お付き合いで投票した考えない国民です。

踏まれても蹴られても怒らない国民です。

私達は怒るべきです。

20年も30年も貯金に利息は付かず、給料は上がらず、正社員は無茶な仕事をさせられて、どこに行ってもほとんど非正規労働者しか出てこない。そんな国に責任や安全が有るはず無いのです。

『欲しがりません勝つまでは』ではなく、『勝つ為には保障しろ』です。

今の日本が情けないと思う人は、次の選挙に必ず行きましょう。悪政を放置すれば必ず悪い報いがあります。

 

 

 

 

 

人材グループの後遺症。

子供の頃に人材グループにされ、激しい指導を受けました。

「夜夢を見るか?

夢を見るというのは、眠ることに集中していないからだ。今日からは、

『私は夢なんか見ないぞ。

広宣流布の為に眠ることに集中するぞ!』

と自分に言い聞かせて眠りなさい。」

と言われました。

「夜夢を見ることすら広宣流布の為には無駄である。」

子供の夢の中まで支配されなければいけない宗教て・・・。私の現実は厳しかった。親の虐待から逃げられるのは、夢の中だけでした。夢の中で亡き祖母に会うことだけが支えでした。その夢さえ奪われました。

 

その頃の訓練の後遺症で、今でも何かをしようとすると【完璧】を目指してしまうのです。当然疲れます。今は誰も私に【完璧】な成果など求めていないのに、クタクタになっても【完璧】を追求してしまう。

 

『三つ子の魂百まで』と言いますが、私の中から、人材グループで叩き込まれた

「何の為」

広宣流布の為」

「池田センセーの為」

為為為!

何にでも理由付けされ、自分でも何にでも理由付けしてしまう癖は抜けません。

人気アニメで【全集中】とかいうセリフがありますけど、あれは勝負所の一瞬のことだからできることで、24時間・365日・全人生で【全集中】していたら燃えかすになります。

 

・・・・・

 

意思に反して長年疲れる夢を見てきました。

目の前に高さ100メートルはある垂直の壁が立ちはだかっている。逃げたくても右も左も無限に壁があって、そこを登るしかないんです。登っては落ち登っては落ち。来た道を引き返す選択は無いので、目が覚めるまで登っては落ちました。

またある時は、こんな夢を見ました。

幕張メッセかと思うような広い部屋に、ずらーっと仏壇が並んでいて中に曼荼羅がかけてあるのを見て、

「これは偽物だ。」

「これはダメだ。」

と言いながら、片っ端から見ていくんだけど、全部偽物なんです。でも、夢の中の私は本物を知らないんです。本物を知らないのに、偽物だと感じて倒れるまで本物を探しつづけるんです。

同じ夢を何度も繰り返して見るんです。起きたら疲労困憊です。

徒労です。

【原因結果】を連呼される人生そのものが徒労でした。

 

今の私は本物の本尊など存在しないと、知っています。

日蓮正宗戒壇本尊がそもそも偽物だと知って、本物偽物論争を卒業できてよかったです。

 

 

東大卒じゃないと成仏できない宗教

最近の週刊誌の創価学会関係の記事に【東大閥と創価大学閥】という単語があったけど、実際今の創価学会執行部は東大卒の官僚的な人が牛耳っています。

 

かつて池田氏が本幹等で、東大生に向かって『灯台下暗し』というおやじギャグを連発したのはご存知の方も多いと思う。自分の学歴に自信が無い池田氏が、東大生を子分にして自分の装飾にしていたのですが、

 

本来宗教とは、学歴や偏差値で左右されるものでは無いです。財務の前だけ【貧女の一灯】等と、貧乏人を持ち上げて、

「貧乏なあなたがなけなしのお金を差し出すことは、最高の供養です。お金持ちが大金を出すのよりも徳を積めるんです。」

なんて指導が聖教新聞に載るけど、創価学会としては【泥の餅】は要らないのです。

 

東大卒なら現世利益に与り、それ以外は歴劫修行に回される。もはや宗教ではなくビジネスです。

現在は創価大学閥も歴劫修行に回されるようです。😔😔😔

 

官僚エリートを養う為に貧乏人が、金も時間も差し出すなんて宗教ではないのです。

 

上位何パーセントだけが利益を得るなんて、アム○ウェイと同じシステムです。

 

1日も早く目を覚ましてください。

 

 

蕭蕭五十年。

50年以上前に、私は人材グループの担当幹部から、

吉川英治の「三国志」と、

辻邦生の「背教者ユリアヌス」と、

山本周五郎の「蕭蕭十三年」を読めと言われた。

 

貧しかった小学生の私には、それらを手に入れるのは容易ではなかった。

小学校の担任の先生に言うと、ハードカバーの吉川英治全集の三国志を買ってくれた。

三国志のストーリーは、横山光輝の漫画で頭に入っていたので、読むのに苦労はなかった。読んだ後の徒労感は半端無かった。劉備玄徳の息子が余りにも愚かで、劉備玄徳にも怒りを覚えたのを記憶している。

「偉大な父親を持つ子供がどうして愚かなのか?」

これはその後の人生の多くの場面で「二世」「七光り」と呼ばれる人間を見てきて腑に落ちた。恵まれた環境があっても志とか、ハングリー精神というのは教える事ができないのだ。

所謂「艱難汝を玉にす」の艱難辛苦を経験することができないのだ。

 

その後「背教者ユリアヌス」も読んだ。

読みはしたが、記憶には残っていない。私には響かなかった。

 

『蕭蕭十三年』は文庫本収載(短編集おごそかな渇き)だったので、自分で文庫本を買って読んだ。

 

(本の内容は、うろ覚えなのでできれば買って読んでいただきたいが、)

主人公・天野半九郎の忠義心が、かつての主人・水野監物に届くまで13年かかったことと、忠義奉公の虚しさだ。

水野監物の側近の天野半九郎は、寝ても覚めても【主の御為】の人である。そのために、主君水野監物から、

「【我こそはの忠義心】が過ぎるので家中の和を乱す」

と、藩を追放される。

半九郎は自分を追放した主人を恨まず、いつの日にか主人に忠義を尽くす為に浪人生活を13年も耐え、機会を待ち『明暦の大火』で、我が身を黒焦げにして硝煙蔵の延焼爆発を防いで命を落とした。

しかも命懸けで大爆発を防いだ【忠義の黒焦げ遺体】が誰なのか、主人水野監物も、家中の誰も気付かないと言う、全くの【犬死に】だった。そのうち誰もが【忠義の黒焦げ遺体】のことを忘れた。

その後、水野監物が、朝駆けに馬を走らせている時に、朝もやの道端に平伏している亡霊を見て、主人は

「(あの黒焦げ遺体は)半九郎、お前だったのか。」

と気づいた。

 

と言う、残酷な忠義物語である。

『蕭蕭十三年』を読めと言ったのは、要するに私達、当時の人材グループの子供に創価学会の為に【捨て石】になれということだった。

 

昭和46年7月8日の社長会記録に

「学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない、奴隷のように学会に仕えよ。それが御本尊に仕える事だ。」

と書いてあるそうだが、

私も、人材グループの会合でその指導を聞いた覚えがある。

 

当時の聖教新聞や、聖教グラフ等には、にこやかな池田氏を囲む笑顔の子供達の写真記事が載った。時々、私の写真も載った。

当然それを見た私の家族や、近所の一般会員からは、

「池田センセーに可愛がられて良いわねえ!」

等と妬まれたものだが、実際は

「人材グループで見たこと、聞いた指導は親にも話してはならない。」

と釘を刺されていた。親が聞いたらひっくり返るような指導もあった。

「親に言ってはいけない。」

というのは、最近では児童虐待にあたる。

実際、人材グループの会合が回を重ねるにつれ、私は自分の家族との精神的な乖離に悩む事になった。

私は既に10代の頃に精神を病んでいたが、精神科の通院は「創価学会の名前を傷つける事になるから」と親が許さなかった。

10代のうちに何度も自殺未遂をするほど私は追い込まれたが、それでも親は、

創価学会の名前に傷をつけることは許さない!創価学会の事を一切口にしないと誓わないと、精神科の受診は許さない。」

と言った。

私は声を失い、立つ事もできなくなった。芋虫のようにはいつくばって生きながら、そうまでして守らなければいけない創価学会の名誉とは何なのか?

自分の子供を犠牲にしても、創価学会や、会ったこともない池田センセーに忠義立てする母親が不気味だった。

 

今でも時々、フラッシュバックに襲われる。

 

・・・・・

 

「ヤマシュウはいいよ。」

池田氏山本周五郎のファンだったらしい。

池田氏は高名な哲学者の本は、実際は読んでいないと思う。(勤行0分の人が、根気よく哲学書等読めはしないと思う。ネットには〔日本では紹介(翻訳)されていない海外の本を読んで要約を書かされ、それを池田氏がスピーチに使った〕という、代作の国際部の生々しい証言もある。)人前に出て来れなくなる数年前からの、本幹での池田氏の「読書感想文の披露会」みたいな支離滅裂なスピーチは酷すぎた。

 

山本周五郎の小説にででくるのは、

忠義の侍

見返りを期待しない善意の庶民

踏まれても蹴られても文句を言わずに耐え、助けあって生きる貧乏長屋の人たち

どこまでも善意でお人よしな人々だ。

そういうところが、権力者(収奪者)から見ると好都合なのだと思っていた。

 

今は、山本周五郎ペンネームのことを考えるようになった。

山本周五郎」という筆名は、彼(本名清水三十六)が住み込みで勤めていた『山本周五郎商店(質店)』から取った名前だ。お世話になった店主への恩義という説と、単に住所を「山本周五郎方清水三十六」と書いたのを出版社が勘違いしたのか?という説もある。

 

『小説人間革命』の中の池田氏は「山本伸一」という名前を使っているが、池田氏が自分の弟子(本部職員)に代筆させておきながら、「池田大作著・監修」で膨大な文章を発表し、

「池田センセーが書いた御本」として会員に購入させて当然の顔をしていたのは、案外

山本周五郎だって小説を書いた本人の名前ではなく、恩人の名前だった」ことを、自分に都合良く解釈したのかも知れない。

 

蕭蕭たる50年の人生。

私らしさを許されず、もがき苦しんで失った50年という時間は、取り戻すことはできない。

 

創価学会という「池田大作個人商店」に吸い尽くされて、油滓のようになった私の親の人生、親が折伏して不幸にした親族、縁を切られた親族。

 

池田氏という一将功成って、万骨枯れたのが創価学会だ。

人材グループの勉強会では、

『将の五条件』

というのを教わったが、『朝令暮改』の多い池田氏は将の器では無かったと思う。

 

 

 

 

 

「記念撮影会」から始まった50年の生き地獄。

 

「記念撮影会」というのは、

昭和45年の「言論問題」→謝罪の後で、

昭和46年から48年にかけて、日本全国で行われていました。

 

「記念撮影会」が何を記念して行われたかは、うやむやです。(創価学会では主語や目的語が省略されていることが多いです。)

当時、大石寺正本堂を建設中(昭和47年落成)だったので、表向きは「正本堂建立記念」ですが、

実際は、記念撮影会は池田門下生の人材グループの結成式でした。

(記念撮影会で撮影した集合写真は、正本堂の線描イラストが描かれた白い封筒に入っていたと記憶しています。既に処分して残っていません。)

 

小学校高学年(例外的に4年生もいた)から、中学生、高校生、大学生の選抜されたメンバーが召集されて池田氏と1枚の集合写真に収まりました。(全国各地で結成式が行われ総勢3000名程です。)

 

撮影会が終わると担当幹部に、

「君達は今日から○○会だ。これから一生このメンバーでやっていく。一人の退転者も出さないように・・・」

と言われました。

 

「記念撮影会」に参加するまで、

全国幹部の家庭訪問

筆記試験

面談

等がありましたが、

何の為にそれが行われているのかは知らされていませんでした。

 

「記念撮影会」が終われば全て終わると思って、当日は出かけました。

 

それが池田氏との集合写真を撮ったら「池田門下生」になってしまい、自分の人生を自分の自由にできなくなりました。

 

メンバーの中には、公明党の議員の子供もいましたし、本部職員、外郭職員の子供もいましたから、そういう人達は「記念撮影会」に参加することの意味、選抜されることの意味を知っていました。会社経営者の子供もいました。(貧乏人と病人の集まりと揶揄された創価学会に、こんなに恵まれた環境の人が居るのかと驚きました。)

当時の文化新聞や高校新報・学会書籍等に出ていた人もいました。

初対面なのに

「あ、この人知ってる。○○の本に出ていた人だ。」

と思いました。

池田氏の構想を実現する一騎当千捨て駒になることが、私達の使命でした。

 

「会合で聞いた話は親兄弟にも言ってはいけない。」

 

と厳しく言われました。人材グループとして訓練を重ねていくうちに、ごく普通の末端会員だった家族との【信仰・思想的な乖離】が大きくなりました。

 

今なら「親に言ってはいけない。」は児童虐待です。

 

私達は幹部に言われたことは素直に受け入れ、要求された事を達成できるだろう子供達が選抜されていたのでした。

 

メンバーの多くは本部・会館・外郭職員になり、大幹部になりました。

公明党という権力、外交官や、司法、官僚、国際機関の職員、医師、文化人等々、日本のあらゆるところに池田門下生の配備が完了したところで突然、池田氏が健康問題で表舞台から退場しました。

 

・・・・・・

言論問題

池田氏の本尊模刻問題

お詫び登山、200ヶ寺寄進

52年問題

会長勇退

名誉会長就任

宗門からの破門

撲滅祈願

その間の、大幹部の粛清、反逆者撲滅キャンペーンを、一般の末端会員の子供よりは信濃町に近い子供~青年として、激動の昭和に見せつけられて、末端会員である親兄弟に何を言っても話も通じない。退会もできない。10代で心を病みました。

ただ、自分の心を押し殺して数十年を過ごしました。

(親兄弟にとっては、撲滅相手のH元教学部長だの、F元副会長だのは、新聞の活字でしか知らない、単なる記号ですが、私にとっては、H元教学部長やF元副会長は、生きている人間なのです。知っている人を呪ったりできますか?)

 

 

(私達のグループの後にも、続々と人材グループが結成されました。また創価学園が人材グループの代わりに池田門下生を輩出する機関にもなりましたが、昭和50年代でも、学園生には、使命感とやる気に燃えて勉学に励んでいるグループと、親に無理矢理学園生にされて、やさぐれているグループの二層に分かれていて、高校から受験で入って来ると、その中間くらいだと、友人の学園生に聞きました。

 

最近、学園生の自殺のニュースを知り、今の学会っ子には私達が子供の頃とは別のつらさがあると思います。今や完全な情報統制はできません。スマホやネットで創価学会の悪い噂や、創価学会に対する世間の評価を知り、逃げ出したくても創価学園出身という記録は、創価大学以外の一般の大学に行って、○○大学卒業と上書きする以外にありませんが、創価学園では、外部の一般大学に進学するのに協力的ではないようです。)

 

関西創価学園の修学旅行は

信濃町池田氏に会ってお小遣をもらって、帰ったら「お元気な池田氏に会った」と周囲に言うこと〕

だったらしいですが、子供達が車の中に座っているだけの池田氏?を見て、地元に帰って、いろいろな場面で

「お元気なセンセー」😄😄😄

って言わされるのは、つらくなかったのでしょうか?

 

それともあの「蝋人形のような姿」がお元気に見えるくらいに洗脳されている子供だけが信濃町で車中のセンセー?を目撃できたのでしょうか?

 

関西創価学園の修学旅行の子供は、1人5000円だか、お小遣をもらったらしいです。

私は昔、封筒に入った千円をもらいました。退会するまで長いこと、封筒のままアルバムに貼ってありました。

私が創価学会に払った(奪われた)お金と時間と精神の健康は、幾らになるでしょうか?

 

全ては、あの「記念撮影会」から始まりました。

 

・・・・・・

 

人材グループですが、

数年おきに、

「池田先生にご報告するから」

と、現況調査がされました。

進学先、就職先、国家試験に合格したとか、創価学会での役職、その他、何人を折伏したとかです。

『破門問題』が起きる前から、名簿には退会、連絡不可、所在不明等の文字が並ぶようになりました。情報収集されるだけで、新しい名簿は送られて来なくなりました。多分退会とか、所在不明が増えたのでしょう。

「退転したら反逆者として広宣流布の歴史に永遠に名前を残す。」

と、中学生の頃に会合で池田氏から言われました。(脅しです。)

グループ結成時に小・中学生だと、親が退会すれば親に従うしかありません。人材グループの勉強会、指導会では、本当に厳しい教育をされましたから、どのメンバーの命にも、

広宣流布の為に、池田センセーの為に生きる。」

という指導=要求が深く刻まれていたはずです。

親に従い脱会する、或は法華講に行くにしても深い葛藤があったでしょう。

未成年に、親が見ていない所で強烈な思想教育を施すのは、精神を破壊する虐待です。

 

現在も幹部や活動家をやっている、かつてのグループの人には蔑まれるに違いない退転者の私です。

親や兄弟にも理解されませんし、宗教と縁の無い夫や子供にも、脱会する頃の、癌患者用の痛み止めも効かない、24時間のたうちまわる苦しみは理解されませんでした。天涯孤独です。

 

今思えば人材グループの結成は、池田氏が「言論問題」で謝罪させられたことへの、日本社会に対する報復の第一歩でした。

 

退会した人間に監視をつけたり、常軌を逸した嫌がらせや脅迫をするのも犯罪です。

 

私は退会時、ひどい目にあいました。ブログを書くことで、特定されてまた私や家族が〔命にかかわる嫌がらせ〕をされるのではと心配です。

もし、また何かがあれば警察に訴えます。世間が旧統一教会の事で宗教にうるさくなっていますから、今度は警察もきちんと話を聞いてくれると思います。

 

・・・・・・・

 

洗脳するなら、自我を持つ大人よりも、無垢な子供の方が簡単です。

自分の野望の為には、無垢な子供を平気で洗脳する池田氏

本部職員になり、池田氏の代作をして、海外からの表彰状や名誉称号をかき集める為に人生を費やしてきた、かつての弟子達。

そして創価学会からの広告発注のマスコミや、会館建設請負ゼネコン、株式保有企業の忖度でコントロールされている世論。

10年後に、創価学会に対してどんな総括がされるのか、生きて見てみたいです。