自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

宗教的命名は、虐待だよね?

私は創価学会2世だったけど、福子じゃないのは不幸中の幸いかも知れない。

私の年代には、妙子、法子、宣子、広宣、宣広など、妙法蓮華経とか広宣流布から取った名前が多かった。

私の同年代の2世の活動家が3世を妊娠すると(妊娠中に)

「池田先生に名前を付けていただきなさい。」

と指導があって、伸の字と両親の名前の漢字から一文字取って「伸○」が多かった。

なんだか、池田氏が名付けたと言うよりも、機械的に伸を入れたようで可哀相な気がしたが、2世の友人は

「先生から名前をいただいた。」

と興奮していた。(実際は池田氏ではなく本部職員が名前を決めていた。)

かと思うと、やはり2世どうしの夫婦で子供ができた時に、ごく普通の流行りの名前を付けたので、

「勇気があるな。いや、愛情だなあ。」

と思った。ご主人がぎりぎりまで、名付け辞典を見て決めたそうだ。

もう十年以上姿を見せない大先生に名前を付けてもらうと言う【踏み絵】は無くなったのだろうか?

池田氏に名前を付けてもらうことと、子供を創価学園に入れることが、ステータスなのか?踏み絵なのか?は、親の階級にもよるらしい。学園の父母会は大幹部がずらりと並んでいたと聞いたことがある。

幹部の子供でも創価学会を継がないこの頃、学会っぽい名前はとても可哀相だ。

私のブログを学会員さんが読むかは分からないけど、子供の一生を考えて、どんな生き方もできる、先入観を持たれない名前を付けてあげて欲しい。