ある年の、大白法の新年号の、宗門の僧侶と、法華講連合会の役員の講頭との座談会形式のやり取りです。
講頭「寺院に行く時には手ぶらで行ってはいけないよ。必ず、幾らかでも【お包み】して行くようにというのが、母の教えでした。ですから私は(所属寺院以外の)よそのお寺に伺う時にも、必ず幾らか【お包み】して行きます。」
という発言でした。
講頭の自発的な発言を装っていますが、雰囲気から言って、
「信者は所属寺院だけで無く、会合でよその寺院を訪問する時も必ず【御供養】を包んで行け」
という指示です。
自分の所属寺院に参詣するにも、寺院はいわゆるタテ線なので(自宅周辺の半径数百メートルで完結する創価学会の支部とは違い)時間も交通費もかかります。役員の方は、余所の寺院でやる会合にも参加しますが、通勤というか?小旅行並の距離です。そこへ御供養を包んで行って、
「折伏しろよ!」
とハッパをかけられるんですから楽しくもないでしょう。
勤行会
唱題会
御逮夜御講
御講
活動者会
推進会
勉強会
○○会議(折伏)
○○会(折伏)
お掃除(週1)
総会(年1)
○○会(法要)(年に数回)
+登山
等、行事予定表は創価学会のと、ほぼ同じくらいあります。(真面目に法華講員をやると、1ヶ月に10日~20日はお寺に行くことになります。)😨😨😨
山田さんの証言も生々しいですが、
講頭さんが皆、お金持ちの方ならばいいのですが、そうでない方も居るでしょう。退職して年金暮らしの身にはかなり負担です。
あまり詳しく書くと身バレするので書けませんが、1回の登山で御開扉と交通費で1万円+御供養+α×年20回だとすると、講頭さんが気の毒になります。
塔婆を立てるのもお金がかかります。
(北海道とか、沖縄県とかだと大石寺までの交通費もかなりの金額でしょう。)
私は末端の役無しで、数年で寺の信心に見切りをつけましたが、もしも面倒見が良くて、イジメの無い、居心地がいい支部(寺)だったら迂闊に活動家になって、今頃泥沼だったでしょう。
早く目が覚めてよかったです。