13日にお講、15日に目師会で、電車に乗ってお寺に参詣して、たったの20人だったら、徒労感ハンパないですよね?😔
日蓮正宗って、信者のことを考えてないですよね?
例えば1月は、1日に元旦勤行会、2日に大石寺に初登山、9日にお講。
2月は、唱題会、興師会、お講、宗祖誕生会。末端平講員はこれだけですが、役員は推進会、勉強会、家庭訪問、折伏があります。
先日も書きましたが、創価学会の地区は徒歩でも回れますけど、法華講はお寺に行くだけでも遠いですから。
(家族がいたら、特に子供がいたら、ひと月に何回もお寺に行くなんて考えられません。家族がお寺に行かない場合、家庭を放棄しているような感じです。私もお寺に通っていた頃、だんだん子供が暗くなって、会話が少なくなっていきました。
「留守番させられている子供はどんなに寂しいだろう?」
と、思い至り、
「これでは学会活動の為に私達兄弟を放置していた親と同じだ!」
と反省しました。)
年に一度の宗祖誕生会や、興師会や、目師会に、手ぶらで行くのはけっこう面の皮が厚くないと難しいですよね?
「行ってよかったなあ。」😄😄😄
っていう充実した内容ならば、帰り道の足取りも軽いですけど、なかなかそういうことは無いですよね?
私、思うんですけど、○○会と日にちが近いなら、お講と○○会を合わせて1回でやれないんですかね?(どうせ○○会の内容は毎年同じだし、お講の御書講義もつまらないし。)講員が「どの行事に出ようか?」と迷わなくていいようにしてほしい。
池上本門寺とか、お寺の行事が地域の行事だから、賑やかで楽しそうですよね?あんな風な行事なら、信者じゃなくても家族や知り合いを誘って行けますけど、法華講の行事なんて楽しいですか?閉鎖的だし、迂闊に家族を連れて行ったら入信させられそうだし。💧
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こんなことを書くと、法華講のバリ活さんに文句を言われそうだけど、なんなら、末寺が毎月のお講を録音して、大石寺に送って、添削してもらったら、少しはお講が面白くなるかも知れません。
よその寺院では、素晴らしい御書講義をしているのかも知れないけど、私が通っていたお寺の御書講義は酷かった。創価学会の会合で地区部長が大白蓮華の通解を棒読みしているのと同じだった。プロの僧侶なら、プロの講義をして欲しい。😔
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お寺に通う道中、夫婦で四方山話をしているとけっこう楽しいんですけど、一人で電車に揺られていると、
「一家和楽の為に信心しているのに、なんで私は一人で電車に乗っているんだろう?」
って虚無感に襲われるでしょう。そこから覚醒に繋がったりしますが、
「一途に信仰してきた自分の○十年は、何だったのだろう?」
という徒労感で鬱になると危険です。
憮然さんの奥様は、最愛のゴンちゃんを亡くして寂しいですよね?優しくしてあげて下さいね。🙇
普段はあまり信心の話をせずに、二人で楽しくすごせるといいですよね?
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私も、十年前に、親に向かって創価学会批判を猛烈にしてしまいました。親は反論もせずに泣いていました。今の私なら(自分は創価学会を辞めるけど)親を追い詰めるようなことはしなかったと思います。失った十年を後悔しています。独立して所帯を持っていても断絶していることはつらかったです。同じ屋根の下に居る御夫婦なら、もっと切実ですよね?