自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

目くそ鼻くそを笑う・財務vs特別御供養

創価学会の財務はえぐい。それは確かだ。

私自身、創価学会員だった時に、広布部員会での煽り(三桁、四桁の体験発表)を批判し、財務の会計報告が見たいと言って、活動を干された。他にも、広布部員カード(財務の申し込み)を拒否して、完全に干された。

しかしだ、日蓮正宗法華講の集金体質だって似たようなものだろう。

建ててすぐに、屋根が壊れた奉安堂といい、安普請な建物が大石寺にはたくさんある。あれはみんな、創価学会を破門してから、創価学会が寄進した建物を壊して立て直したんだよね?建物って、建てる時だけじゃなく、壊す時にも金がかかる。正本堂なんか50億円かけて壊したよね?他にも次々壊したり建てたり。そのお金は結局信者のお金だよ。(だって僧侶は経済活動していないもん。)

特別御供養の勧募(納金)が12月だったのも、創価学会を見習って、少しでも御供養が多くなるようにボーナス月に設定したんだよね?

そして、末寺の建て替えや、改修の費用も御供養を募る。

「末代までの誉れ」、「福徳を積む」とか、趣意書を無視できない。

お寺さんに何を言われても「千円」しか出さなかったとか、強い意思の持ち主はいいよね?でも、そうじゃない人も居る。(現に、『宗祖生誕800年特別御供養』の時には、「前もって(来年とか)御供養がわかっているんだから、計画して御供養を貯金しよう」って、【つもり貯金の方法】も大白法に載せたよね?)所属しているお寺の規模によって、同調圧力とかも違うと思うけど。

私は法華講って、お金がかかるなと思った。人それぞれだけど。

創価学会で、子供の時から、【貧女の一灯】とか、習ってきたから、法華講に移っても何の抵抗もなく御供養を出してしまう。(現役の頃と違って、蓄えと年金で細々と暮らすようになっても、「御供養を惜しんだら、申し訳ない。」「御供養を惜しんだら、後悔する。」そういう性分が、一般人の夫には理解されない。)

創価学会を嗤えるほど、日蓮正宗法華講が清貧とは言えないですよ。😔