私は子供の時から割と真面目に学会員でした。
少年部から教学の勉強会にも通っていましたし、人材グループでもありましたが、「お肉牙」という言葉に遭遇したことはありませんでした。
法華講に入ってから、ある学会員さんに、
「お前は宗門に『お肉牙』何て言ういかがわしいものがあるとしっていて法華講に入ったのか?あんなものを信じているのか?」
と聞かれてうろたえました。調べてみて驚きました。
日蓮が生きているうちに抜けた歯が今も生きていて、歯肉が増えているとかいうものですが、戸田城聖が【見てきたように】講釈師のように語っている文章もネットで見ました。
[培養ポッドも無い鎌倉時代の抜けた歯にくっついていた歯肉が生きて増殖]って、SF小説の世界ですが、問題なのは、そんなのを多分、権威付けか?集客の為に宣伝するような人が宗門に居たということは、他の色んなことも胡散臭いと思いました。
何かで池上本門寺にも焼いていない日蓮の歯が有ると読んだのですが、池上ではそんなことには使っていないそうです。
学会時代に教学の勉強会で「羅什は破戒だったが、法華経を正しく訳したので、死後火葬しても舌だけは焼け無かった。」と習いましたが、気楽さんのブログや、他の方の文章を読んで、羅什のは意訳を超えて創作だと知りました。
[青蓮華の上に舌が乗っている光景]も気持ち悪いですが、
「法華経を正しく訳したら舌が焼けないのなら、【末法の御本仏】の遺体は舌だけでなく、全身焼けないのではないかしら?」
とも思いました。
「邪教創価学会をやめて、本家の法華講に戻った」と得意になっていた私に取って、冷水を浴びせられたような『お肉牙』の一件ですが、今ではあの時に私に
「お肉牙何て言ういかがわしいものを信じているのか?」
と言ってくれた学会員さんに感謝しています。
正確に言うと、お肉牙の話にうろたえている私でも宗門の教義の胡散臭さを理解できるように、長年の研鑽の結果をブログに公開してくれている気楽さんに感謝しています。🙏
私がこの先の人生を投入しても集められない情報を読ませていただいたおかげで、法華講に対する未練は無いです。