自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

法華講に入った訳。そして、、、

今思うとイタイ限りですが、法華講に移った時には、夢がありました。

 

私は創価学会2世として子供の頃から信心即生活を絵に描いたような生活を続けて、心を病んで、壊れました。

多分、私が死んでも先生は私のことなんて気が付かないのに、なんで先生の為に頑張らないといけないんだろう?

そう思ったら、親に押し付けられた学会2世生活を続けることは無理でした。

創価学会を辞めたのに、ふらふらと法華講に入ったのは

日蓮正宗創価学会が世界で唯一の正しい宗教」だと物心付いてから教えられてきたから、学会を辞めても法華経を捨てないで行こうと思っていました。

一生懸命法華講で信心して、結果を出して、今でも創価学会で選挙活動とか、財務とか、新聞でへとへとになっている両親を法華講に誘って、いつか両親と一緒に大石寺で御開扉を受けるのが親孝行だと、その時は信じていました。😰😰😰

今は、それを実行する前に覚醒してよかったと思っています。😊

 

折伏って、相手の人生を根こそぎ変えてしまうことです。相手の人生を全部の責任を取るっていう自覚が無い人が、功徳欲しさに他人様の人生を混乱させるのは許されないと思います。

 

法華講に入って何年目かのある日、御講で住職さんの話を聞きながら、

「今ここに両親が座っていたら、法華講に入りたいって思うかな?多分そうは思わないだろうな?」

両親の何十年の生活を全否定して法華講に入れても、両親は幸せにはなれないだろうな。

それ以前に、数年間信心に励んだけど、私も家族も法華講では幸せにはなれないな。

そう思ったら、もうお寺に行くことはできませんでした。

 

創価学会を辞める時には、良くも悪くも、学会員の付き合いは深いので、何十年来の友人を裏切るというか、友人を無くすことには未練もありましたが、幸いというか?法華講では友人と呼べるような人はいなかったので、未練はありませんでした。