私は大河ドラマ好きのお婆さんです。
日蓮に人生を引っかき回された者として、鎌倉時代が舞台の『鎌倉殿の13人』や、平安時代が舞台の『光る君へ』はとても興味をそそられる時代です。
どちらも、医療とか、防疫、公衆衛生なんてものは発達していないので、天皇・貴族・武士などの高貴な方の病気、出産でも寺社に祈願をさせます。(簡単な薬草くらいは使った。)
疫病が流行っても、祈願をさせたり、改元したり、おまじないみたいなことをしています。
『悲田院・敬田院・施薬院・療病院』が福祉的なことをしていますが、それも限られたもので、それ以外は運に任せるしかなかった時代です。
庶民などゴミのように生き、ゴミのように捨てられています。
政治も機能していないので痘瘡や、麻疹が流行っても、病人の吐瀉物や排泄物が道に溢れていて、死体がそこここに転がされて、野犬や烏が食い散らかし、更に病原菌がまきちらかされたでしょう。
そんな時代ならば、神仏に祈る他には、病魔・死神から逃れることはできなかったでしょう。
もし日蓮が現代に生きていれば、腹に腫瘍があり下痢が止まらなければ湯治ではなく、病院に行って、採血、尿検査、レントゲン、内視鏡検査、手術等を受けて治療すると思います。
平安時代の【後産】が下りなくて亡くなる中宮も、今の医療ならば子宮摘出とかで、命は救えます。
「南無妙法蓮華経は獅子吼の如し」だという日蓮自身が、獅子吼の題目で自分の病気を治せていません。
まして医療が進んだ現代に、教団信者が病気や障害のことで宗教・教団の言うことを真に受けるのはとても残念なことです。
(私の周りの創価学会の幹部の方達も「信心で治す!」と言っているうちに、お医者さんにかかるのが遅れて亡くなった方が何人もいます。病気そのものの激痛だけでなく、普段指導してきた会員に「病魔に負けた姿を見せたくない」と、二重の苦しみでした。)
【いかなる病】も、題目をあげるよりは自覚症状があれば医療機関に行ってください。
日蓮信者(創価学会員や法華講員)は、布教の為には優しい言葉も言いますが、苦しんでいる人間に対して、心の中では
「それは過去世の悪業の報いだよ。」
というマウンティングがあります。
他人から差別されてきた病気や障害は沢山あります。
他人に対して
「それは過去世の悪業の報いだよ。」
と言い捨てる傲慢な宗教に限って、社会に対して奉仕も恩返しもしていません。
令和の時代に生きている人間が、何故鎌倉時代の価値観に縛られて生きなければいけないのか?
冷静になればおかしなことですよね?