自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

「病によりて道心がおこる」のが不幸の始まり。

「医者に見放されたらしめたと思え。」

というのは戸田会長の指導でしたか。

特に母親は、自分の病気は我慢できても、子供の病気には耐えられません。

看病して、お医者さんをはしごして、それでもよくならない時に[何でも叶う宗教]といわれたら、ズブズブ沼にはまってしまいます。悪い宗教の人は他人の不幸が蜜の味なんです。

よく法華講の人は学会員さんに、

「謗法の創価学会の祈りは叶わないんだ!破門される前は功徳をもらったろう?」

って、見下した言い方しますけど、破門される前のちゃんと宗門が認めていた時でも、限界まで信心に励んでも病気は治らない人が多かったです。

私の親は、親としての責任を放棄する為に学会員になったんじゃないかと思うほど、私が病気になった時には、

「信心が足りないから病気になるんだ!題目あげろ!」

「お前が病気になったのは過去世の業だから自分で治せ!」

「会合の有るときに熱なんか出して、魔だ!」

と吐き捨てて活動に行ってしまいました。悲しかったです。

だから、自分が親になってからは、子供が病気をすると

「どうして子供の病気くらいで会合を休むんだ?信心で治せ。」

という幹部や、実家の言うことは無視して、子供の病気が治るまでは学会活動は休みました。

題目をあげても病気がよくならないのは身に染みていますから、看病で疲れているのに夜も寝ないで仏壇に向かうとかは、自分を虐める事だと割り切りました。

会合に行かない。活動しない。拝まない。

これの積み重ねで、私は洗脳から醒めて行きました。

 

話は変わりますが、

コロナが始まった頃に、宗門では、

「御聖誕800年の大事な時に疫病が流行るのは魔の働きだ」

というようなことを言った(大白法に載った)ので、

「今は鎌倉時代じゃないよ!」

と、薄れていた信仰心が更に醒めました。😰😰😰