タイトルの通り、本当に創価学会の真似をしているのが大石寺と法華講なんです。
創価学会員時代、宗門撲滅罵倒と選挙と金集めばかりで嫌になって法華講に移ったのに、やることなすこと創価学会でやっていたことばかりでした。
数・数・数の打ちだし、結果・結果・結果というのが嫌で、お寺に移ったのに、
お寺にあったのは、お坊さん二人とやる気の無い見習い一人、なんでそこに居るの?っていう寺族様。副住職にものを尋ねると住職に聞かないと答えられない。住職にものを尋ねると大石寺に聞かないと答えられない。まるで中間管理職。
ノルマとスローガンと、ノルマの達成度を示す数字。
住職講話は創価学会の批判と、折伏誓願(ノルマ)ができたのできないの。
みんな創価学会臭がぷんぷん(たまに極少数顕正会出身者)。だけど自分は法華講だからと新参者を見下す。
知人友人を折伏する為に日蓮正宗の正しい教学を身につけようと思っても、大日蓮出版の売店には、行事とか、大石寺案内とか、子供向けの説話本とか、大昔に日顕上人が登座記念に発刊した「日蓮大聖人の生涯」だかをタイトル変えて再発刊したみたいなのとか、
「これなら創価学会の方が、会員向けに教学の本を出してる。」😥
と、がっかりしました。
要するに信者にあまり教学をやって欲しくないのがアリアリ。
必死になればなるほど、
「自分の家族や友人をここに連れては来れない。家族が創価学会員でいたいのに、無理に辞めさせても、寺で得られるものは何も無い。」
「お寺がオリジナルではなくて、創価学会がオリジナルで、お寺の方が創価学会の真似をしている。」😨😨😨
という心境になりました。
何十年も法華講で修行している人が新参者をいじめるんだから、法華講信心では六根清浄は無理なんです。
「お盆とお彼岸に塔婆立てれば、先祖供養になるからいいや。」
で満足な人は、お寺に残れるでしょう。
でも折伏をする場合、この信心をさせて相手が幸せになると確信できないと、折伏できません。
私が法華講でいる限り、夫や子供に迷惑をかけるのでやめました。