自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

適正な選択肢の数とは?

一つ前に書いた「新しいバッグを買う」ですが、夫は

「超有名ショッピングモールに行ってバッグを探せば?」

と言いました。専門店が充実していてバッグ店だけでも10店以上はあります。充実しているのは嬉しいのですが、迷いが出ます。

コストコに行った事がある人はご存知のことですが、コストコは基本1品目1商品なので迷いません。醤油もソースも紅茶も1or2種類しか無い。そういう状況だと迷いません。買うか?買わないか?2択です。カタログショッピングとか、ネットのサイト等も商品の迷宮に迷い込んで行くと、結局何も買わないで時間が過ぎて行ったりします。

話をショッピングから、いつもの宗教に戻しますと、私のような宗教2世には選択肢はありません。よく言う【ハイか?YESしか無い1択】(選択する権利無し)です。

勇気を出して【続けるか?辞めるか?】という2択をするのもフェアとは言い難いです。続けると言う選択肢には今までの環境や人間関係を継続しますし、辞めるという選択肢には今までの環境や人間関係(親子・友人)を全放棄するということになり、孤立感や孤独感は凄まじいです。だから私はいきなり【ルビコン川を渡ってしまう】よりは【待ち】をうまく使ってニュートラルを楽しんでもいいと思います。【待ち】時間の間に仕事や趣味で新しい人間関係や生き方を増やしておく。宗教が一番上とか中心にある生活から、宗教が自分の人生の優先順位の下の方とか、端っこの方になるように生活する。自分の人生の心棒を抜いてしまうのはつらいですが、枝葉の部分ならば切り落としても耐えられますし、慣れるものです。

人生の選択肢で大きいものは結婚ですが、私は【引く手数多の売り手市場】だった?時には創価学会2世ということで、泣く泣くあきらめた結婚話もあり、期限切れ寸前に要介護の母親を抱えた今の夫と結婚しました。💧【歩く創価学会】みたいな面倒な親を抱えた私と結婚してくれて、離婚もせずにいてくれた、ありがたい夫👨でございますが、もし私が20歳で創価学会の鎖を断ち切っていたら・・・。

宗教に限らずYESか?NOか?と聞かれたら、「未来の自分は準備中です」くらいに気楽に構えてくださいまし。🙇🙇🙇