気楽さんのツイッターから、水谷進良さんというお坊さんのツイッターをみた。
身延山の景色の写真があった。
大石寺の戒壇本尊の材料の楠が出たという伝説池の写真よりも、同行の方が山道を上る姿が印象的だった。
キャラバンシューズを履いて、登山用のストックを握って上るのもつらそうな山道。
このような山道を750年前に、栄養状態も良くない人が、わらじ履きで(板本尊と厨子で)200キロを超えるのを背負って下りるなんて無理だ。下りられるというなら、宗門の僧侶が似たような荷物を背負って証明して欲しい。
身延山は日蓮が生前に暮らしていたし、池上は日蓮が没した由緒ある地だが、大石寺は生前の日蓮とは縁が無く、日興は重須の方が長い。
日蓮を信奉する人間ならば、安房小湊の誕生寺、遊学した比叡山、立宗宣言の清澄寺、佐渡の塚原、隠棲した身延山、没した池上、熱原の三烈士のお墓とか、御書に出てくる富木殿のお寺(中山)だって見てみたいでしょう?
だけど法華講だから、謗法厳戒で見に行けないジレンマ。
「見学だけならいいんだよ。」
とか、苦し紛れに言ったって、由緒あるお寺に行けば手を合わせて題目を唱えたり、そこの住職さんに話も聞きたくなるのが人情。お寺に行けば条件反射的にお布施?賽銭?くらいはしてしまいそうだし、有料のパンフレットや、お土産品くらいは買ってしまいそう。
日蓮ゆかりの地を巡った後、大石寺がどう見えるか?大石寺に自信があれば、信者を謗法なんて言葉で縛らないでしょうね?
信仰心の無い一般人だって、史跡巡りのバスツアーで日蓮ゆかりの場所を巡れるのに、信者だから日蓮ゆかりの地を見に行けないのは何か変。
私は子供の頃に、『熱原の三烈士』の漫画を読んで三烈士のお墓を見たくなった。
(大石寺にあるのはただの記念碑)