自分の心に正直でいたい。

学会2世⇒法華講⇒日蓮界隈を卒業して、普通の日本人になりました。

信者を辞めて見えること。

私は家庭の主婦ですが、病人を抱えているし、自分も持病があります。

家族の病気は死を覚悟しなければいけない病です。

それでも創価学会だった時や、日蓮正宗の盲信だった時に比べれば心は穏やかです。病気は病気であって、宿業でも罰でも無いからです。

バリバリ創価学会員だった時には何でも婦人部長に報告相談していましたが、婦人部長や、実家の親の

「なんでこうなったか、わかるわよね?」

という言葉は完璧に脅しであり洗脳でした。

家族の看病に全力を注いだ上に、夜も寝ないで、

「御本尊様ごめんなさい。謗法をお許しください。」

と題目をあげて、寝不足でふらふらで幽霊のようになっていましたが、実際は家族が病気になったからと自分の行動を反省してみても謗法など身に覚えはありませんでした。💢

でも親も幹部も言うんです。

「原因結果でしょう!結果が出ているでしょう!家族が苦しんでいるでしょう!」

そう畳み込まれると反論できませんでした。

日蓮正宗も同じです。法華講員さんのブログを読んでいると、必要以上に自分の罪を追及しているのです。

病気になった時、失業した時に、普通の人は健康管理が疎かだったからとか、仕事の取り組みが甘かったからとか、売上が足りなかったとか、前向きな分析をするんですが、信者は、

「自分の信仰の○○が間違っていた。」

と、重箱の隅をつつくように自分の罪を探して、どこをどう反省すれば自分をそこまでイジメられるのってくらいに反省懺悔して御本尊様というよりは教団への恭順を誓うブログを読むと、すごく悲しくなります。

お寺が普段から末端信者に対してオカルトじみた教育をしているからです。

『日興遺誡置文』の

「未だ広宣流布せざる間は身命を捨てて随力弘通を致すべき事。」

「謗法を呵責せずして遊戯雑談の化儀並びに外書歌道を好むべからざる事。」

なんて、信者を駆り立てるのに使いますが、本当は末端信者よりも上にいくほど厳しく自分を戒めないといけないはずです。

以前、[日顕芸者写真訴訟]がありました。創価学会創価新報日顕上人と芸者さんが写った写真を載せて「法主が芸者遊びをしている」と報じたのですが、裁判の結果、法主が一人で芸者遊びをしていたのではなく、日顕上人は宴席に招かれた、参加者は婦人同伴だった。創価新報の写真は悪意を持ってトリミングしていたというので、創価学会側が負けたのですが、

①未だ広宣流布していません。身命を捨てて随力弘通が宴会なのか?

②写真に写っていた島田髷の芸者さんは、酌婦では無いので、恐らく舞を披露したでしょう。日顕上人は芸者さんに宗教を質して、謗法を呵責してからお酌をしてもらったり、踊りを見たりしたのでしょうか?呵責したとしても未だ広宣流布していないのに、法主が「招待されたから」と言って、芸者さんと遊戯雑談していいのでしょうか?

鎌倉時代の信者が里芋や米を宗祖日蓮に供養した時に、日蓮

「おかげで命を繋げました。」

と御礼を言うほど生活は困窮していました。私が子供の頃に創価学会

日蓮正宗の僧侶の衣が薄墨色なのは、昔墓場に落ちている布を拾って墨で染めて着ていたから」

と、日蓮正宗は質素倹約の宗門だと教わりましたが、日顕上人の着物は豪奢に見えました。

④ホームパーティーならばいざ知らず、高級旅館に芸者さんを何人も呼んで宴会をするのはかなりの出費ですが、法主に饗応して利益を得る人が存在するということなのか?

⑤どうしても必要なお祝いならば、大石寺の中で、仕出し弁当でも取って祝いをすればいいのに宴会慣れしているのか?

さすがに今はコロナだし高級旅館で宴会はしないんでしょうけど、

全人類が70数億人なのに、法華講員が幽霊も含めてたった83万人なのに法主が芸者さんのお酌で酒を飲めるって、油断というか?懈怠ですよね?

(おっと勘違いだ。日顕上人の時は公称39万人くらい?)

なんなら、中山法華経寺で荒行でもやって、根性叩き直した方がいいレベルです。

お坊さんが臨終正念じゃないのに、末端信者に臨終正念とかを説くのはどうかと思います。